苔縄城趾〜峰尾池

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『上郡』を参照していただくようお願いいたします。

2005. 3.12.  土曜日  晴れたり雪になったり  気温寒い
なんたることか、またまた週末の天気予報が悪い!!吹雪だろうがホワイトアウトだろうが 冬は雪山に決まっとる!!というようなベテランならいざ知らず、私のような山歩き初心者は 展望のある晴天雪山ハイクをしたいというのが絶対条件なのです。したがって今回も北方面は見送りとなります。 あまり北方面でなく、いままでに行ったことのない山域ということで絞っていくと、やはり 上郡のこの山域ってことでしょうか。

同行のM氏も異論はないようです。苔縄城趾はM氏持参の『はりま歴史の山ハイキング』にも載っているので とりあえず取り付きやらルートも安心出来ます。上郡の町に入り、千種川の向こうを見ると雪と藪で散々だった 生駒山が見えます。今考えてもなぜあんなていたらくだったのかと歯ぎしりをする思いですが、 我々と上郡との相性が悪いのでは?というのがM氏の結論です。 ん〜。だと今日もとんでもないことになるのかな??

苔縄小学校の裏手が登り口だと本にあるので、そこへ行く前に近所を散策してみる。赤松円心に縁の深い 法雲寺に立ち寄り、樹齢7〜800年の『ビャクシン』を写真に収めたりする。手前にある銀杏の木も すごい。周囲にはまだまだ面白そうなものもあるが、山に登るのが目的ですからまたの機会にゆっくりと・・・。

苔縄小学校の南には赤松公民館がある。そこの広い駐車場を使わせてもらいます。もちろんちゃんと許可も もらってね。9時35分スタート。小学校の入口付近には大日如来を祀ったお堂があります。そこで掃除をしている おじさんに苔縄城趾の入口を尋ねます。小学校の体育館裏手を進んで、校舎の裏にある小さな焼却炉 手前の斜面にうっすらとある踏み跡が入口らしい。聞き終わってそちらへ行ってみるといらちなM氏は 勝手に探し出してもう登り掛けています。
なんの標識もありません鳥居をくぐり抜けて

昨今のことですから、小学校の敷地内を無断で通行するのはなんだか抵抗があります。 リュックを担いだ無害なおっさん二人ですからおとがめはないでしょう。 すぐに獣除けの金網がありますが簡単に開くようになっています。 この周辺は竹藪で段々の平地があって赤松の屋敷跡ではなかったかという説もあるようです。

現在の苔縄城趾には愛宕のお社があるので、この道は参道ってことになります。 赤布の目印に従って進んでいくとコンクリートブロックをステップにした階段もあるので 間違いなくこのルートです。尾根が近づくに連れて足元にはイヤ〜なシダが多くなってきて、 スパッツをしていないと濡れたり靴の中がゴミだらけになりそう。石の鳥居『文化三年丙寅(1806)七月吉日』が見えると そこが尾根との合流点です。9時55分。

尾根には頂上への道はもちろんあるのですが、下界方向にも踏み跡があります。しかもそこにはなんと石仏も!! って、ことはこの尾根道の方が昔からの参道なのでしょうか?石仏は宝珠を持った座像で首がありません。 台座部分には地蔵菩薩を表す『カ』という梵字と『さゑん 講中』、横手には『寛政四子(1792)七月日』と彫られています。 ところで、『さゑん 講中』とはどういう意味でしょう?さえない連中という意味ならなかなか洒落た集団ですが、 茶園(さゑん)つまりお茶の栽培業者の集まりかも。 いかんせん200年以上前のことなので真偽はわかりませんということでお茶を濁します。
頂上にはTVアンテナとお社がある

シダをかき分けながら急登りの参道を登っていきます。途中には 人工の石垣で出来たテラス??があります。周辺にはバラスが巻かれていて いったいなんのために造られたのわかりません。そうそう、よそからここに来る人はまず わからないでしょうが、千種川付近から苔縄城趾の中腹にポッカリと真っ黒な穴があるのが見えます (別途地図にだいたいの位置を記入してます)。 それは古い坑口だということなので、ひょっとしてそれに関連するものかも?

頂上の手前で左に巻き道がある。それは西にある三角点ピークへ続く道のようだ。とりあえず それは無視して頂上に10時30分着。標高369m、三角点無し。ここまで登り一辺倒だったので結構汗まみれになってしまった。 一服して周囲を見渡すと朽ちかけたTV共同受信の施設と愛宕??のお社がある。拝殿の前には石灯籠があり それは『明和三年(1766)十月二十四日』と、結構古い。山頂はそれほど広くなく南北に細長い。 曲輪の跡も数段残っています。

今日の山行きはこの頂上で終わりではありません。ここから西にある411.1mの三角点ピークを目指します。 樹間からその方向を見てみると遙か向こうに赤白の電波塔と養鶏所が見えます。 あれは船岩という三角点のあるピークです。道さえあればあそこまで行くことが出来るでしょう。 ここに登る時にあった分岐まで戻るのがめんどくさくて斜面をダイレクトに下って尾根に乗ります。 巻き道とも合流して尾根を歩きます。写真ではヤブっぽいですが実際は歩きよく快適です。
三角点愛宕山へ向かう尾根一般ハイカーもここに来ているようだ

こんな道にもマーキングがある。なくても迷うような尾根ではないのですが、よほど世話好きなのか、 山歩きに自信がないのか・・・・。とりあえず、それを頼りに(頼りにすんなって!!) 三等三角点、標高411.1mのピークに到着する。10時55分。雑木に囲まれた静かな山頂です。 道中にマーキングのテープがあるくらいですから、こんな静かな山頂にも名前を書いたテープやら 登頂のプレートとかがあって山頂を汚しています。

先ほどの苔縄城趾(369mピーク)には愛宕社がありました。ところが 地形図ではここが愛宕山となっています。で、ここにもお社があるのかと思っていましたがありませんでした。 下山後、公民館の人に聞いてみると、このピークは轟山と呼ばれているそうです。 つまり、苔縄城趾は別名愛宕山で、地形図での愛宕山は轟山が正解。 地理院の雑なお仕事がここにも現れてるってことです。

思ったより早く来れたのでさらに先に進んでみます。あれほど多くあったマーキングはここからはありません。 どうやらマーキング好きのハイカー達は本にあるルート通りにしか歩かないようです。 ということでここからは煩わしい赤テープも見ずにすみます。

白いヒモが行く手を遮るように張られていました。周囲は松林なのでマツタケ山なのでしょう。 それを跨いでヒモに沿って右に折れます。尾根は広く踏み跡も微か、しかもいきなり吹雪に なってきました。「寒いぞっ〜。遭難する〜。ぎゃ〜!!」アホな二人は大騒ぎしてます。 次に現れた白ヒモも右に。コンパスで確認して・・・うん、順調やね。 めっちゃ、ええ道が続いてます。MTBが欲しいぞ!!
プチ吹雪ですぅ〜峰尾池の水はカラっ欠

左手には峰尾池があるはずですが雑木に阻まれて見えません。地形図を見ると高度差は10mもありません。 このまま次の三角点(424.3m、点名峯尾)に向かうつもりでしたが、見えない湖が気になります。 山中にある湖面はなかなか雰囲気のあるものです。まして、地形図で確認してもこんなに大きな池ですから さぞかしすばらしいでしょう。ちょっと寄り道に雑木斜面を下って行きますが湖面らしきものは見えません。 「あれ〜、おかしいなあ・・・」 降りきってみると、池どころか赤土の地面が広がっています。「池が無くなってるし〜!!」 とりあえず堰堤に向かって湖底を歩いていくとわずかに水が残っています。周りには獣の足跡がいっぱい。

村の人の話では大正10年に造られた農業用のため池らしい。冬季だから水が少ないのか、あるいはもうお役ご免状態なのか。 大声を出すと谷に反響してエコーになります。オカリナ吹いたらさぞかし響きが良いでしょう。見上げると先ほどまでのプチ吹雪はどこへやら?青空になっていました。M氏は石を積み上げた堰堤をよじ登っています。私もそれにならって上に・・・。 時間は11時半でちょっと早いですがここで昼食にします。風が吹き抜けて寒いので堰堤の北端で食べましょう。

さて、食事も終えてこれからどうしましょう?M氏と相談して予定通り点名峯尾に行ってみることにする。 その近辺から下る道があればそこから下山もよし、なければさらに前進してみるのもよいでしょう。 まさしく行き当たりばったりの山行き。行きたいところに行き、曲がりたい所で曲がり、見たいところで立ち止まる。 やまあその山歩きはこうでなくっちゃね。

尾根に登り掛けるといきなり寸断されていた。そこは人工的な切り通しで林道の様にも見える。 降りてみると山腹を巻いて延々と続いているようだ。試しにちょっと歩いてみる。 よく見るとそれは林道とか作業道ではなく水路だった。あの峰尾池の谷だけでは水が集まらないので、 この水路で山腹の水を集めて池へ流しているのです。尾根に登ることはすっかり忘れて なにかに招かれるようにそれを進んでいく。

二つ目の谷に差し掛かると規模の大きな石垣に出くわす。「なんや、この石垣は!!」 見ると周辺にはズリっぽい石が積み上げられている。上によじ登ってみると鉱石を溶かした 跡に出来る鉱滓もあります。「これ鉱山跡やで」間違いありません。となると、近くに坑口が 残っているかもしれません。
真っ暗な坑道が・・・みるみるレンズが曇ります

ありました!!塞がれることもなく残っています。覗き込んでみると中には温かく湿った空気が溜まっていて 見る間に眼鏡が曇ってきます。「うひゃ〜、こんなん初めてや」眼鏡が曇ったまま中に入り込もうとしましたが おっと危ない。坑道は入口から水平に奥へとありますが入ったところすぐに縦坑もあります。 曇った眼鏡のままよく見ないで入るとそこへ転落かも。

ライトを照らして中に入ると温かく湿った空気のはずだが、なにかゾクっとする雰囲気もある。 するといきなりM氏の携帯が甲高く鳴り始める。びっくりした M氏は弾かれたように外に飛び出します。それにつられて私も外へ。 「びっくりするやろ!!人騒がせな携帯やなあ!!」

幽霊でなくて何よりでした。 村の人の言うにはここは『峯尾鉱山』といって個人の鉱山だったそうだ。摂れるのは銅。 鉱石を索道を使って下ろしていたという。つい最近まで稼働していたようにも見える (上郡の大浦福寿堂さんによると20年ぐらい前までやっていたらしい)。 小さくても会社が運営する鉱山は記録に残ることもあるが、こういう個人の鉱山は歴史に埋もれてしまうことが ほとんどです。 「あそこで△△さんと□□さんが落盤で亡くなったなあ」と言う村の人の話を聞いて、あのゾクっとした感覚は そのせいだったのかと思い返す。
ズリを調べるM氏こちらの坑道は水に浸かってます

二人ともこういう鉱山跡が大好きなのでいつまでも覗き込んでは遊んでいます。 ここからも点名峯尾へ行けますが、水路は続いているのでそっちを優先で進んでみる。 水路は土砂で埋まっているので雨が降っても水を池に運ぶことは出来ないでしょう。 その水路もやがて無くなる。鉱山跡を見たことで満足することが出来ました。 もうこれ以上進んでもこれ以上の感動はないでしょう。今日の山行きはこれにて終了。

水路の終わる地点からある枝尾根を下っていきます。途中左右に下る道のある分岐ポイント (別途地図のF地点)に着。右の下りのほうがメインのようです。そちらに下り掛けると M氏は「尾根の先端が展望よさそうやからそっちへ行こう!!」と進んでいきます。 地図を見ると激下りはわかっていますから気分は乗らないんですけど・・・。
今日も楽しんだぞいここから激下り

風は冷たいのですがあせびの花がきれいに咲いています。やがて枝尾根の先端に到着。予想通り 展望は良く、赤穂の荒山、尼子山、高山、黒鉄山等が望め、麓の集落も見えるので高度感が楽しめます。 足元は滑りやすい砂地になり背の低い松を縫うように進むと激下りが始まります。 雑木の斜面ですから細い幹を掴みながら下っていきます。

降りたったところは思った通り民家の裏手。しかも登りの時にあったような格子状の金網が通せんぼしています。 出口も見あたらないので仕方なく乗り越えました。M氏の言うとおり下るとこういうことになります。 地図のF地点から下ると楽に下れたでしょう。13時30分。

まだまだ時間があったので点名峯尾まで足を延ばしてもよかったのですがまた次の機会としましょう。 舗装路を歩いていると岩木にある公民館でグランドゴルフをする老人達がいます。 これは幸いと先ほどの峰尾池のことや鉱山跡の事などを聞きました。知識経験の豊富なお年寄りは 大事にしましょう。赤松公民館には14時35分に戻ってきました。

今回の苔縄城趾〜峰尾池の地図は こちら(約170k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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