宝引山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『氷ノ山』を参照していただくようお願いいたします。

2005. 9.25.  日曜日  曇り  気温涼しい
宝引山は国道9号線を挟んで但馬妙見山の西向かいにあります。道路から見てもピラミダルできれいな ピークなのに、どうやら頂上はヤブで登る人はいないらしい。 ところが『たじまハイキング』では登ったレポートがある。後追いはちょっと残念だが我々も 登ってみましょう。

ちょうどよいきっかけが出来ました。それは登山口である 中瀬で『中瀬金山四百年フェスタ』という催し物が23日〜25日まで開催されています。 下山後にそのフェスタとやらを見学したらまさしく一粒で二度おいしいってやつです。

その中瀬にやってくるとフェスタのための駐車場が道沿いの空き地に設定されていて、 駐車場を探す苦労がなくて助かりました。その三番の駐車場は登り口である金昌寺に近いので スルッと車を入れるとまだ一台だけしか止まっていませんでした。9時40分スタート。

周辺にはいくつかのお寺があって、どれが金昌寺が迷うところだが、道路にお寺の名前を書いた大きなプラカードが 設置されています。それはフェスタのイベントの一つであるお寺を回るスタンプラリーのためらしい(^_^;)。
我々は金昌寺の手前から左に行って三柱神社に行く。『たじまハイキング』を読んでみるとここが宝引山の登山口で、 鳥居をくぐらずに境内の右にある小径を登るとある。
三柱神社の右手から始まるいきなりヤブやん!!

すぐに正面に砂防ダムが現れる。道は右に登っているが、手前にある木橋を渡って左から砂防ダムをクリアーします。 この辺から苔むした古い石垣と出会う。遙か上まで延々をそれは続いていて見る人を圧倒しますが、 ようするにこれらは棚田の残骸。実際下界は耕作地になるような平地もないので、こんな所まで田圃にする必要が あったのでしょう。何代にもわたって作られたであろうこの石垣群を見ると昔の人の偉大さがひしひしと感じられます。

このルートは地形図にも載っている谷沿いの道です。赤テープもあるし、谷から大きく外れなければ 迷いようはない。ところがダムを越えてしばらくで二度ほどヤブがある。 雨露を含んだそれをくぐり抜けるともう全身びっしょりに濡れてしまいます。 「こんなん行きたくないなあ・・・」思わず愚痴が飛び出ますが迂回路もなく 誰が付けたか知らない赤テープを呪いながらヤブをかき分けて行きましょう。足元もビショビショやあ・・・。

谷もだいぶんに狭まって来た頃、地形図にある山腹を巻く平行道に合流しました。 「あら〜、地形図どおりに道があるねえ」あまり荒れてもなく 楽に前進できます。そして最初の鞍部分岐に着。10時30分。
とにかく石垣だらけ!!最初の鞍部に着。ここからどっち?

青い矢印で平行道からこの地点に来たことになります。地形図にある点線ルートは白い矢印。 それは見える範囲で水平に山腹を巻いています。緑の矢印方向にも道はあり、マーキングは そちらに付いています。ならば素直にそちらへ登っていきましょう。 ちなみに、水色の矢印方向にもうっすらと下る踏み跡がありました。

地形図にないルートですから期待していませんでしたがはっきりとした道です。 U字にえぐれているのは自然の仕業なのでしょうか?そうとも思えないから人の手によって 作られた道??ならばなんのための道なのでしょうか?謎は深まるばかりです。 周囲には炭焼き窯の跡もないし、植林もされていませんし、手堀の坑口などもあるように思えません。
U字形にえぐれて急登り落雷で燃えた??

不思議なボブスレーコースをヒーヒー言いながら汗びっしょりで登っていきます。 前を行くM氏が足を滑らすとそのまま私の頭上に落ちてくるような、そんな 急登りの連続です。

登りが緩くなって少し下ると二つ目の鞍部。10時50分。 白い矢印のルートはここで合流しているはずですが、みたところそれらしい 道は確認できませんでした。この周辺はちょこっと植林されています。

地形図を見ると先ほど以上に急でロングの斜面が待ちかまえています。 まあ、ヤブでないだけマシと言えばマシ。途中に真っ黒に炭化した幹がありました。 周囲にそれと同じようなものはなく、たき火の跡もありません。 M氏が言うには「生木がこれだけ燃えるのは、きっと落雷やで〜」 まるで見てきたような言い方です。(-_-)

三つ目の鞍部に着く手前から急に笹藪がきつくなりました。 ここまで順調だったのが不思議なくらいですから、まあ予想されていたことと納得します。 朽ちた古いTVの受信アンテナの先にはミズナラやブナの木が現れてきました。 頂上はまもなくです。
頂上は目と鼻の先だが・・・。(>_<)

さらに笹藪はひどくなります。不覚にもM氏の後ろをついて歩いていたためか、マーキングから 離れてしまい、いっそうヤブが深くなってしまいました。首を伸ばしてみると笹の向こうに赤テープが見え隠れしています。 あそこならまだ踏み跡程度のものはあるでしょうに!!そんなことお構いなしに向井氏はヤブの向こうに消えていきます。

ラッキーなことに山頂部分には笹のない広場になっていました。三角点はその先、ちょっと笹をかき分けた向こうです。 標高803.5m。三等三角点、11時25分。ここから西方向には植林になっているので楽に歩いて行けそうです。 M氏に提案するが、フェスタが見られないからと却下。てことはピストンか?? あの棚田の藪はいややなあ・・・。
笹のないところで食事但馬妙見はガスってます

とりあえず食事にしますが、風が冷たくてウインドブレーカーを羽織り、夏以来初めての 熱いおうどんです。先週の暑さがうそのよう。 食後のコーヒーも美味でした。

周囲は笹と雑木に覆われていて展望はほぼ皆無と言っていい。わずかに但馬妙見の頂上付近が見える。 それと下を覗き込むと9号線が見えた。あれはループ橋のちょっと手前付近やね。 標高が低いために無線も空振りです。フェスタへ向かって下山しましょうか。12時10分。

ようこんな急坂を登ってきたもんだ!!気をつけないとつまずいたり、滑ったりで思わぬ怪我を してしまいそう。途中に明確な脇道がある。本道と同じようにえぐれていて東の方へ下っています。 どこへ行くのかは不明ですが、この宝引山全体にこういうソマ道が縦横にあるのでは ないでしょうか?

一番目の鞍部には12時53分着。 同じルートで下るのは面白くないので水色矢印ルートで下ってみます。 それは数mも行かない内に怪しくなってしまいますがかまわず前進します。
下界が見えてきました大日寺の墓地に出ました

なにも考えずにまっすぐ下ると同じ谷に降り立ってしまうので、ルートを右寄りに 修正しながら西隣にある大きな尾根に乗っかります。それは松の木の生えた 若干明るめの尾根でしたが相変わらず展望は皆無。

下界が一瞬見えましたが、それと同時に太鼓の音も・・・・。 『氷ノ山太鼓』というアマグループがフェスタで演奏しているのでしょう。 下って行くに連れてその音もどんどんと大きくなってくる。 この辺にも石垣があり、地面には古い土管が埋まっています。 急斜面を滑り降りると右手に墓地が見えました。

それは大日寺墓地でした。13時30分。 本堂の扉が開いていて覗いてみるとご婦人が二人座っている。奥には本尊の大日如来。 スタンプラリーの受付をされていたのかもしれません。 ちょっとお話をしてフェスタ会場に急ぎます。 そもそもこの大日寺の近くで砂金が発見されたのが中瀬鉱山の始まりだったらしい。
中瀬金山四百年フェスタ会場一瞬だけ大金持ち

駐車場で着替えてフェスタ会場へ。受付で記名をするようですがもちろん無料。 パンフをもらって坂道を上って到着した本会場はなんと地区の体育館でした。 本来なら鉱山のあった地点(別途地図のG)で開催するのかと思っていましたら、 そこは現在は日本精鉱という工場が操業していますので、入口には『フェスタの会場ではありません』と わざわざ断り書きまでしていました。(^_^;)

愛知万博もかくあらんとばかり、 前庭にあるテント群では立ち食いウドンやら砂金すくいやらチープなイベントが・・・。 しかも周囲にいるのは老人ばかり・・・。太鼓チームも演奏が終わってお片づけの最中でした。 こうなったら展示会場の体育館に殴り込みや〜。

とりあえずお決まりの中瀬鉱山の歴史のパネル展示。実際に採れた鉱石やら昔の人が使ったハンマーに石臼などなど。 お孫さんとおぼしき女性に連れられた老人は「これが社宅やったんや」と古いモノクロ写真を指さして 懐かしそうに話しています。当時の人達がまだここに居てるってのがすごい。

そんなこんなでわりと楽しめた山行きでした。やはり金山があったから宝引なんて山名になったのでしょうかねえ・・・。

今回の宝引山の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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