竹林山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『谷川』を参照していただくようお願いいたします。

2005. 3. 6.  日曜日  曇り時々晴れ  気温ふつう
当たらない天気予報に振り回されて、今日もどこの山に行こうかと悩みつつ車を走らせる。 北に向かって行くが雪が降るどころか青空も覗いています。う〜ん、そんなことなら雪山でスノーハイクを したかったなあ・・・・。地団駄を踏むが、実は帰宅時間が決まっているのでどちらにしても遠出は出来ません。 とりあえず手頃なところで山南町の竹林山が今日のターゲットです。

山南町谷川にある高座神社の前には手頃な駐車場があります。そこの車を止めて1分もしないうちに 横にバンが同じように止まって、中からぞろぞろとハイカーが出てくるではありませんか。 「こんにちは。どちらへ行かれるんですか?」と声をかけると逆に「あんた、HPの島田さんとちゃうか?」と 言われました。これには驚きましたが、男女二人ずつの方達はJAC(日本山岳会)のメンバーの人達でした。 さらにもう一人の男性の腰にぶら下げている袋に書かれている名前を見てびっくり。 兵庫の山に関していろんな著述のある須磨岡輯さんでした。

こんな所で有名人に会うなんてびっくりです。竹林山を選んでラッキーだったのか?? 私が準備をしている間に彼らは高座神社にお参りをしています。戻ってきた須磨岡さん達に 今日のコースを聞いてみると大ダワから妙見山に登り、天徳山から大樅峠へ下るという ロングコースでした。私の予定するコースは同じく大ダワまで登って、そこから 竹林山に行くつもりでした。ならばと、大ダワまで同行出来ないかお願いしてみると 快諾を頂く。やった〜!!9時20分スタート。
まずは常勝寺へ

うれしいハプニングで大先輩達の後ろを着いていくことになりました。舗装路で 笛路から大ダワへ行くのかと思っていましたら、長い階段を登って常勝寺へ向かっています。 ここは桜の古木が多いので本当なら春に来るのがベストでしょう。 須磨岡さんは何度も来られているのか懐かしそうにしています。 「この石段は年寄り向けの段差になってて歩き良いんや」 昔の人はちゃんと人間工学に乗っ取った階段を造っているのに、現代人は山の遊歩道に 歩きにくい階段を作ってはハイカーを苦しめています。

最上部にある本堂の左手には薬師堂があり、そこから地図にない林道が水平に続いています。 それを南に進んでいくと地図にある林道と合流しました。点線のルートで小さな鞍部を越えて 笛路に向かうようです。距離が短いのであっという間に鞍部に到着です。
石仏のある鞍部

鞍部の西斜面に石仏が二体あるのがすぐに目に付きます。石仏に目のない私はさっそく駆け寄って しげしげと眺めます。石室に入っているのは地蔵菩薩の立像。錫杖と宝珠を持った普通の姿だが、 雲の上に蓮華のある雲座に乗った来迎の姿をしている。地蔵でこの姿は珍しいかも・・・。 ちなみに横手には『吉野川上地蔵』『藤本』と彫られていました。 藤本は谷川周辺にもある名字です。吉野川上地蔵とは、奈良県吉野にある川上という山奥の地名です。 そこに実際にこの名前の地蔵があるかどうかは知りませんが、狂言に『川上地蔵』という盲目の男性と 嫉妬深い妻との悲劇があり、それに関係する地蔵かと思われる。

その横手にある石仏がさらにめずらしい。台形の自然石の表面に二重円光の光背が薄く彫り込まれていて 薄肉彫りの阿弥陀如来座像が線刻の蓮華座の上にある。印はわかりにくいが定印のようだ。 これだけならなんでもないが、この阿弥陀の下部にはなんと鳥居が線刻で彫られている。 つまり鳥居の上に阿弥陀が座っているように見えます。神仏混交を表したものか??謎です。 反対の東の斜面のわかりにくい所にも不動明王の石仏がありました(なぜか不動明とだけ彫られている)。 この時は気づかずにいたのですが、竹林山からの帰りにもう一度寄って見つけました。
吉野川上地蔵鳥居の上の阿弥陀向かい側にある不動明王
この鞍部から西に上り詰めれば目的地の竹林山です。逆に東にある267mのピークは行者山といって ここにも石仏があります。当初単独の予定では竹林山からの帰りにこの鞍部の石仏と行者山の石仏を 見る予定でしたが最初にここに来てしまいました。どうせ帰りにもう一度ここに寄ることになりますから 行者山はその時に登りましょう。須磨岡隊はこのまま笛路に降りようとしていますので それに続きます。

鞍部からすぐ下には笛路集落の墓地があり、ここから林道となって集落まで下っています。 さて、こんどは大ダワへ向かって谷を詰めていきます。集落奥からは歩きよい林道があるのですが、 わざとそれを避けて耕作地奥から谷へ進入。どうやら須磨岡さんは迷走を楽しんでいるようにも見える。 鹿避けネットを何度かまたがってやっと林道に出ました。ときおり自動車の通行があるようで、 しっかりした轍も残っています。

林道の終点で小憩。ちょっと暑くなって汗も出てきました。みなも上着を脱いで軽装になっています。 バナナやプチトマトを頂き私も一息入れます。
大ダワに近づくと雪が大ダワ着。ここでお別れです

林道の終点からは細い谷道を登っていくことになります。この道も明確で倒木も比較的 少ないようです。登るに連れて足元には雪が現れてきます。JACの方々も気さくに話しかけてくれますし、 須磨岡さんも著述にあるイメージとは違い、関西人特有の明るい方でした。 いろいろと質問したいことが山ほどあったのですが、ぐっと我慢でおとなしく付いていきます。

うっすらと雪の積もった大ダワに到着。10時48分。昔からある立派な道標はそのままにあります。 須磨岡隊は南の妙見山へ、私は反対方向の北へ向かいますのでここでお別れです。短い距離でしたが一緒に歩けたのは 良い体験になりました。山が与えてくれた偶然に感謝です。 「女性の幽霊に気を付けや〜」励ましとも脅しともつかない言葉を背にお互い反対方向に登ります。
傾斜の緩やかな尾根です巨岩に『五』とマーキング

大ダワは標高が500m弱。そこから30mほど北に登り返すと竹林山へ向かう尾根に乗ることが出来ます。 目的の方向は東。背の低い雑木が立て込んでいるので背をかがめて右に左にと進んでいきます。 ずっとこんな感じかと思っていたらいきなり右横から来る道と合流しました。 その道はと言えば先ほどの大ダワから来ているようです。尾根にあるこの道は幅も広く、 村と村とを結ぶ昔からある街道のようです。

思った通り、先ほどの谷と一番近づいた所が分岐になっています。正面は竹林山へ続く尾根。 左手には兵庫パルプ方面に下っていると思われる二本。そして先ほどの谷に薄い踏み跡。 もちろん正面の尾根を進みます。展望こそありませんが、道もしっかりとしていて ペースは保てます。
ストーンサークル??

奇妙な所に出ました。つい先ほどまではゴツゴツとした巨岩があったのですが、 なぜかこの周囲だけは丸い岩ばかりで、それらが円を描くように置かれています。 自然にそうなったものでしょうか?それとも人為的なものでしょうか? 『丹波霧の里』 の笹倉さんは狼煙場ではなかったかと書かれています。しかし、この先にある竹林山の頂上ならまだしも ここで狼煙を上げるには??な感じです。

『播磨の山猿』 の大柿さんは方位石もあるストーンサークルだと書いておられます。 見れば見るほど不思議な感じのする所です。ここだけ杉が植えられていないのも変ですし 周囲と違う空気が漂っている雰囲気も感じられる・・・。 ストーンサークルかどうかは別として、なんらかの祭祀が行われていたと想像出来るような 所でした。

そこから一登りで463mピークに着。11時40分。ここは狭くて小さなピークです。 地形図ではさらに奥にもピークがある。その奥のピークが竹林山だと思っていたのですが、 ふと目をやるとここの立木に大柿さんのプレートが掛かっていました。 確かに二つのピークはほとんど同じような標高なのでどちらでも良さそうな 感じはしますが真偽はいかほど?? せっかくですからここで昼食にしましょう。
463ピーク倒木だらけの植林斜面

早く下山するつもりだったのでサンドとコーヒーだけでそそくさと済ませます。 食後にオカリナも吹いてみるが、さすがに指が凍えてうまく動きません。それでも何曲が吹いている内に 気持ちが乗ってきます。そうだ、せっかくだから先ほどのストーンサークルで吹いたら雰囲気が出たかも しれませんね。

次のピークにやってきましたが、こちらの方が広くて竹林山山頂にふさわしく思えます。 名前は竹林ですがそれはあくまでも常勝寺の山号ですから竹藪などは一切ありません。 ここから下山しますが、最初に須磨岡隊と訪れた石仏のある鞍部を目指して降りていきます。 コンパスで方向を定めて降り始めますが、下の方から赤い服を着た二人の人影がちらちら見え隠れします。 「あれ〜、ほんまに女性の幽霊が出たかも・・・」幽霊であっても女性は大好きなので、 思い切って「こんにちわ!!」と大声を出してみる。

「あれ〜っ、びっくり。こんな所降りてくる人がいるとは!!ひょっとしてしまださん?」 またまた偶然の出合いがありました。 お一人は『PORECOの山小屋』 のPORECOさん、もうお一方はここが出身で大阪低山跋渉会のメンバーのAさん(遠阪峠でもお会いしています)。 これくらいの人達でないとこの斜面をよじ登ることは出来ません。 女性の幽霊ではなかったのがちょっと残念ですが・・・・。

まったく変なところで立ち話が続きます。彼女たちは麓から行者山に登り石仏鞍部を経てここまで来たそうです。 さらに竹林山はもちろんのこと、なんと天狗山まで行くという(私も時間があれば同じコースを考えていましたが)。 ここで面白い話を聞く。それは前から気になっていた妙見山の別名についてです。 ここ出身のAさんにこのこの質問をしてみると、黒田庄で妙見山と呼ばれている山はこの山南町では稲谷山と言うらしい。 しかも昔は旗を担いで登ったいわゆる旗振り山であったそうだ。
行者山の頂上直下祠も新しく、石仏も立派です

彼女たちを見送り下山を続けます。つい最近伐採作業が行われたようで、間伐木が斜面にはほったらかしのままです。 それを迂回したり、跨いだりでなかなか下に降りれません。地形図にない廃林道に降り立ちそのまま前進を続けると 最初の石仏鞍部にたどり着きました。12時56分。再度しげしげと石仏の観察をします。 すると行者山の登り口で先ほどの不動明王を発見。この石仏なぜか王の文字だけがありません??

参道は明確だが徐々に廃道化しているようだった。頂上の直下左手に巻き込むとそこは磐坐のある テラスがあった。そこにある石仏は弘法大師、役行者(巻物と錫杖を持ち、ロンゲで眼孔落ちくぼんだ恐い顔をしています)、 不動明王、文字石塔、もう一体弘法大師と満載です。花筒にはAさんが持って上がった真新しいサカキが差されていました。 テラスの左手から下れそうな踏み跡がありましたが、Aさんのアドバイスで頂上から南東に下ってみることに。

頂上にはなにもありませんでしたが、平坦地で曲輪状の小さな段差がいくつかあった。その先からは ヤブになる。少し下るとアドバイス通り上水のポンプ施設があった。そこから道があると思っていたのだが 相変わらずヤブの連続であった。麓は見えているので強引に下ると工事中のため池に出た。13時30分。 (やっぱりテラスから左に下る方が良さそう・・・・)

高座神社へ戻る途中、笛路口橋のたもとに石の道標があるのに気が付いた。見ると『右 ふ江ぢ ひらいし  左 山田 きよ水 大坂 しろ山いなり』といくつもの面白い地名が彫られている。
ふ江ぢ=笛路集落
ひらいし=平石(笛路集落の南には四等三角点平石・三等三角点平石という点名が あるので笛路奥の字か?)
山田=首切り地蔵手前の山田集落
大呂峠を越えて・・・
きよ水=播州清水寺
大坂=大阪?
しろ山いなり=今田町にある城山稲荷
道標一つでもいろいろと想像で遊べますね。 駐車場には13時45分着でした。

今回の竹林山の地図は こちら(約170k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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