はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『谷川』を参照していただくようお願いいたします。 2004.10. 3. 日曜日 曇り 気温ふつう
1999年の2月に
こぶ岩〜杉原山〜大樅峠
というルートのレポートを書きました。今回はスタート地点を同じにして、逆方向の三角点山まで歩いてみます。
ほんとうは生野方面へ行きたかったのですが、まちがいなく雨が降っているだろうということで、
ぎりぎり降っていないところを探し出したのがほんとのところです。
5年以上たっていますのでこぶ岩への入口すら覚えていません。「たしかこの辺りだったはずやけどなあ・・・」と、 見覚えのある橋に来てみると矢印だけのプレートが欄干に張り付いています。その下にはこぶ岩と書かれた 半分が落ちていました。これではここが入口だとはだれもわからないでしょう。8時30分。 この入口は別荘の分譲地の入口でもあります。別荘地といっても空き地が目立つし小振りな家ばかりで庶民の別荘地って 感じかな。急な舗装路の終点からいきなりの山道となってます。最初の分岐を右に折れ、小橋を渡って しばらくすると旧の参道と出合いとなる。この旧参道は別荘地入口の橋よりちょっと西にある 民家裏あたりが入口のはずです。舗装路から見える民家奥の猪垣(石を積み上げた猪除けの塀)がなんともみごとです。
谷を登っていくと大きな炭焼き窯跡の手前から右に曲がる。参道はどこまでもしっかりと あるので日頃から参拝する人も途切れることなくあるのでしょう。木の鳥居をくぐり抜けると 広場を左に見て、正面には小屋が、そして右手にこのこぶ岩があります。
高さ4.5m、周囲が10m。正面には小さな祠と岩にかけられた注連縄が見て取れます。 どんな力によるものなのか、人の頭ほどの岩が何十個となくくっついてこの大きさに なっています。不思議はそれだけではありません。裏を見るとまるでナイフで切り落としたような 切断面があります。確かにこれは奇岩です。名前の通り、こぶ、イボ、ガン封じに御利益があるそうです。 現在、私の身辺にも目の上のたんこぶと言えるような人物がいますが、それも削除できるのでしょうか? ねえ、M氏・・・・・。 杉原山へはここから登ります。9時10分。いきなり向こうが見えないほど繁ったウラジロが行く手を遮ります。 「うわっ!これ行けるんかいな・・・・」意を決して突入すると、その向こうは案外しっかりした 道があってやれやれである。しばらくして分岐となる。本来なら右へ登っている道を行くのだが、 正面の谷に向かっている平行道がすこぶるきれいでそそられます。たんこぶ、いや・・、M氏と目と目の合図で 谷への道を選択する。
すると、その先の山腹には平たい石を積み上げた石垣が見える。近寄って、その上になにかあるのかと 登ってみたがなにもなかった。どうやら炭焼き窯跡でもなさそうだ。M氏が「石垣ではなく、節理した 岩が積み重なった自然の造形とちゃうか?」と言う。それにしては大きさとか形に不揃いが多い。 そんなのが上下二段もある。これも謎である。 さらにその上には露岩地帯が連続する。写真でもわかるとおり、まるでお城の石垣のようにまっすぐ 左右に延びていて人工物のように見えるが、これは正真正銘自然の造形である。 おっと!岩の一つが落ちかけていますぞ。押し込むと元に戻りました。(^_^;) そこから稜線に出ます。9時35分。明治乳業のガラス瓶が落ちています。こんなところで 牛乳を飲んで瓶を捨てた奴がおったということか。モ〜、許せんぞ。ギュ〜っと言わせたろか。 まずは東にある杉原山のピークへ行ってみましょう。道とは言えない踏み跡程度のものを たどって行くが徐々に傾斜は急さを増してきます。ゴツゴツした岩が現れ始めると まもなくで頂上だが、近づくにつれガスが周囲を覆い始める。 まわりがうっすらと乳白色になっていくのも風情があっていいもんです。 10時08分、標高598.2m、三等三角点。
昔と同じで低木が生い茂り展望はない。もし展望があれば北に白山、妙見山。 南に西光寺山が間近に望める展望の山に大変身するでしょう。 そして、こぶ岩から登山道を整備すれば、なかなかよさげに思うんですけどね。 さて、ここからUターンして今度は西へ向かいます。その最終の目的地は三角点山。 途中でわかりにくい分岐が二箇所ほどあります。それさえクリアーすれば、 あとはほぼ一本道と言っていいですが、いかんせんウラジロと蜘蛛の巣が行く手を遮ります。 M氏が木の枝を振り回して蜘蛛の巣を蹴散らすと、枝はまるで綿菓子のようになります。 うぇ〜(>_<)
12時05分、324mピークは共同受信アンテナのあるピークに着。地形図を見ると ここから下りきった所が『東はりま日時計の丘キャンプ場』への分岐がある鞍部です。 ならば、時間も頃合いなのでここで食事を済ませることにしましょう。 展望はあまりよくないが風を避けて食事が出来るのがありがたい。 お腹も満腹になって下りかけて驚いた。ピークよりちょっと下ったところが展望の岩場だったのです。 「あ〜っ、なんや、ここで食事したら最高やったのに!!」二人とも悔しがる。「もういっぺんご飯食べよか!!」 そんなあほな・・・・。 |
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324ピークから下りかけたところが実は展望ポイントだった |
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鞍部には13時10分着。左は記念池から西脇ゴルフ場へ下っている林道。右は東はりま日時計の丘キャンプ場への
谷道。正面は三角点山への尾根道ですが、その尾根道はいままでのヤブが嘘のように快適路に変身しています。
道幅も広くなり、下草もまったくありません。
登りにもかかわらず、先ほどまでの下り以上のペースで進んでいけます。
「昔、この道を下ったことあるけど、こんなに歩きよかったかなあ??」実は三角点山に着いみると そこにはキャンプ場への標識がありました。それで納得。三角点山からキャンプ場までハイキング道として 整備されていたようです。その山頂には13時47分着。二等三角点、標高457.0m。 元々は愛宕山と呼ばれていたそうですが、頂上に三角点が設置されてから、いつしかそれが山名になってしまったようです。 ちなみに先ほどの杉原山も初めてその山名を目にしたのは多田繁次氏の著書だったと思います。それでその山名を 使用していたのですが、別の資料で『松尾原山』という山名を見てしまったので、それからしばらくは混乱状態。 M氏は点名と書けば良いと言うが、点名はあくまでも三角点の名前であって山の名前ではありません。 やはりそれを毎日仰ぎ見る人達がどう呼んでいるのか、そうです、村人に聞くのが一番!!下山後、 駐車した車の近くにいたおじさんに聞くとやはり杉原山が正解のようでした。松尾原山はその一帯の山塊を示す 字のようなものらしい。 |
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三角点山からの広角展望をどうぞ。おぉ!杉原山もあんな遠いだっちゃ。 |
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三角点山の頂上は展望が良いので定評があります。 あいかわらず雲は低く垂れているが、ラッキーなことに空気はまあまあ澄んでいます。 それが証拠に明石海峡大橋も肉眼でばっちり見えていますよ。 でも、周囲の木々も成長しているので年々展望は悪化していくかもしれません。 実はちょっと下りかけた岩場から西方向の展望も絶品なんです。 |
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どうよ!どうよ? 低山なのに高度感あってよろしいでしょ |
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この岩場下は分岐になっている。『南福谷ルート・・・』と『愛宕ルート・・・』の二つです。
どちらも最終的には同じ所(福谷公園)に下りる。ということはこの二つのルートで周回が出来るということです。
我々もどちらかで下らないといけません。別になんという理由もなく愛宕ルートを選択。
下っていくとテラスのある祭祀場に出る。石を組み上げた石室があり、入口部分には木の格子が はめ込まれている。中には木製の役行者像が収められていた。さらに下には 愛宕の祠がある。その先から激下りが始まる。 この路面は超危険です。表面はツルツルで、しかも苔がうっすらと生えているので 足をのせたとたんにズルッと滑るのは確実です。二人とも脇の草地足をのっけて なんとか下っていきます。 こんな悪路なら南福谷ルートで下ればよかった。 昔、この道で登ったはずだが、こんな道ではなかったような・・・・。 岡稲荷神社の横手に降り立つ。14時55分。降りた横手には昔登った登山道があった。やはりさっきの道は 初めてやったのか?! 赤い鳥居の階段を下りきって公園を歩いていると古墳があった。 案内板などはなかったがポッカリと口を開き、真っ暗な奥は玄室のようです。 「M氏、入ってみたら??」と、けしかけると「こんなとこ入れるかいな!!」といいながら リュックを降ろして後ずさりの体勢で古墳に入っていく彼は何者だぁ〜。 駐車ポイントまではちょうど1時間かかりました。 今回の杉原山〜三角点山の地図は こちら(約150k) でごらんください。 |