見峯山〜須知山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『綾部』を参照いただくようお願いいたします。

2004. 2.21.  日曜日  晴れ  気温あつい
なぜか綾部に心引かれます。もし住めるならこの地に永住してもいいなあと思ってます (ただし、美人がいることが前提ですけど)・・・。な〜んでか?というと地形図を見てください。 たくさんの送電線と、点線の山道、そして峠が満載でしょ?まずは 三郡山(みこおりやま) で、廃村、峠、シングルトラック、石仏等々楽しみました。 その翌年に単独で 三郡山〜大谷柴山というルートを走りました。そして今回はさらにその先を目指す!!はたして やまあその運命はいかに??!!

出発点は前回のゴールだった和木町とする。隋岸寺のグランド前に駐車できるスペースがあったので 断りを得てそこに止める。9時55分スタート。すぐに見覚えのある登り口に着いた。 そこには立て看板と右上を見ると木の鳥居も見えています。看板には『文政年間、和久左ヱ門佐が大和大峰山 参拝三十三回を記念し、大谷柴山山頂に木造瓦葺の立派な堂を建立した。 当時の住民二十余名が行者講をつくり 祀って来たが、戦時中途絶え昭和五十年有志で古い社を小さくして再建し現在に至る。   これより八百米登り鳥居をくぐると岩場伝いに行場があり巨岩上の行者堂に大峰山分身見峰山が祀られている。 ・・・・・』とありました。
行者堂への登り口下りだったら全乗りなんです

足許には道標の小さな石碑もあり『右 大原 京』と彫られています。つまりこの参道は大原へ抜ける峠道 でもあり、その途中にこの行者堂があるという事です。木の鳥居をくぐり抜けて登っていくと、深く掘れた きれいな道が続いています。登りなので押し行くのはしかたありませんが、下りだと 全乗りコースなのは前回で実証済みです。

分岐に到着。右は前回行者堂から下ってきた全乗りの峠道。左は木の鳥居があるので 看板に書いてあった岩の行場からお堂に行く道らしい。どうせ乗れないのなら今回は行場から 登ってみます。しばらく行くと岩場があって、その横手の急斜面をよじ登ることになりました。 しかし行場というほどのこともなくあっけなく岩場をクリアーして行者堂に着く。10時30分。
見峯山 行者堂

今日は暑くてすでに汗びっしょり。スポドリを一口含んで、上着も一枚脱ぐ。 前回同様目の前には由良川流域と山々の展望が広がっているが、あいにくの モヤでなんにも判らない状態だった。わずかに今回の終点に設定している 須知山のとんがりピークがわりと近くに見える。

行者堂は奥にある小さなお社が本殿で、手前の大きなのは前殿です。前殿の右手に小さな手水鉢があり 『天明三(1783)八月』、左には灯籠があって『享保十九丑寅【丑寅→甲寅のまちがい?】天(1734) 五月吉日』、 『山上大権現 講中寄進』とありました。

ここでちょっとした疑問に突き当たる。最初の看板を思い出して欲しい。大谷柴山の山頂に造られた お堂は文政年間(1818〜1829)と書かれてあった。それなのに手水鉢と灯籠はそれより古い 享保と天明である。これってどういう事でしょう??

汗も引いたので峠へ向かいます。行者堂から参道を少し戻れば峠道分岐となる。 ここからはもう歩く人もいないのでたびたび倒木を乗り越えることになる。 大谷柴山の山頂の下をすり抜ける様にして峠に着く。10時55分。 これだけ広い峠道だったので峠には石仏かなにかがあるかと期待したが何もなかった。 (大谷柴山の山頂の様子は前回のレポートをごらんあれ)
大原へ抜ける峠点名 中の谷で昼食

ここからは三和町と綾部市の境界尾根を行くことになる。ちなみに、ここまでは登りオンリーだったので ほとんど乗車はしていません。前回も境界尾根はほとんど乗車出来ないうえに、難易度の高いルートの 見定めがむずかしい尾根でした。今回もまったく同じで境界尾根に乗ったとたんにいきなり間違いそうになる。 地形図にある点線道が横切る鞍部には11時35分着。わりと大きな鞍部で、和木町側には踏み跡も明確だったが 三和町側は倒木だらけだった。

ここから点名中の谷までは難路の連続で途中にはとんでもない藪の所もあります。身体一つの歩きだけなら なんとかすり抜けられますが、MTBは担げないし、押せないし、引っ張れないのないないづくし。 とりあえずへろへろになりながらも四等三角点のピークにたどり着きました。標高422.7m、12時35分。 あの鞍部から1時間もかかってしまった。(>_<)

山頂は狭くわずかに三角点の周囲だけ座れるスペースがある。 今はヤブっぽい頂上ですが、TVの共同受信施設の残骸があることから昔は開けていて 展望もあったはずです。受信施設の骨組みに登っても今日の霞ではなにも見えないでしょう。 体中に着いたゴミを払いのけてご飯にしようとするが、暑いのとへばったのとでお米がのどを通りません。 小さなカップ麺だけはなんとか食べられました。13時10分再スタート。
倒木地獄PPヒモ地獄

まだまだ先は長いのにこんなところでバテていていいのでしょうか・・・。大丈夫です。 点名中の谷から少し行くと点線道と合流して、そこからは長い下りが楽しめるはず・・・。 PPテープが現れる分岐ピークに出る。ここを左に行けば質山峠のはず。 私はコンパスで確認しながら北へ進みます。 地形図上では確かに快適そうな道が描かれていますが、実際はいきなりの倒木地獄 (地図の352付近)。

さらにPPテープが幾重にも木に巻き付けられていて通りにくい。したがって乗れ乗れどころか またもや担ぎと押しの連続です。PPテープは延々と続いています。おそらく松茸山の 縄張りを示すためのものでしょうが、これだけ荒れ果てた山で果たして採れるのでしょうか。 PPテープは権利の主張、ならば倒木だらけで荒れた山は管理と責任の放棄では? 先祖が残してくれた山をこんなふうにして何とも思わないのでしょうか? 倒木とPPテープさえなければまさしくシングルトラックの連続するすばらしい尾根なのです。

現在位置の特定がなかなか出来にくいが、左手下に見える焼却場の煙突でだいたいの場所が判る。 野田町に下る分岐にたどり着いたのでそのまま下ってしまおうかと一瞬考えるが、 須知山まで行くと良い道があるのではと思い直して先を行く。これはほとんど熱に浮かされた妄想状態と言える。 所々無理矢理に乗車するがテープがディレイラーにからみついてしまい、いちいち車輪を取り外さないと テープを取ることが出来ない。あ〜、なさけない。
須知山山頂でVサインソマ道で下山

なんとか須知山の直下まで来ました。そこには溝があって一見道が横断しているのかと勘違いする。 これって溝ではなく堀切では?そうすると須知山は山城では?? 後で調べてみると確かに山城で白髪城という山城があったようです。 MTBをそこに置いて 斜面をよじ登ってみたら頂上は一面の矢竹が生い茂りその中に三等三角点がポツンと ありました。標高253.1m、14時40分。

良い道があるどころか、これ以上は到底行ける雰囲気ではなく、また行けるとしてもその気力もありません。 堀切の両側も道らしきものはなく、仕方なしに元来たヤブを引き返すことにする。 強引にここから斜面を下るより分岐まで引き返す方が絶対に早くて安全です。 野田町へ下る分岐からはソマ道でしたがほとんど乗車可能でした。ため池の横に降りたったのは 15時15分。

靴の中、服、リュックのゴミを取り除いてMTBにまたがる。ここからは舗装路で駐車ポイントまで 戻ることになる。結果、MTB的にはとんでもないルートで大失敗と言えるが、 歩きでならそんなにきびしい道でもありません。15時30分駐車ポイント着。

今回の見峯山〜須知山の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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