はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『但馬竹田』を 参照していただくようお願いいたします。 2002. 4.12. 金曜日 曇りのち晴れ 気温ふつう
和田山町の室尾山に登るときに地形図でそのルートを想定しましたが、それと共に周辺も眺めて次回の山行きも
どこにするか考えます。そこで候補に挙がったのが、大倉部山とその南にある大路山。どちらもネットでは
なかなかレポートのないレアな山です。今回はとりあえず大路山にチャレンジしてみました。大路山のすぐ
東には有名な竹田城址があるので、車を走らせる際にはそれが目印になります。
どこから登るか皆目見当もつかなかったが、竹田城址と大路山を結ぶ尾根近くに舗装路がある。 これは竹田城址への登山道の駐車所に続く道路である。さらに北にある殿という集落へ降りて いるので、こいつを辿ってみると取り付きやすいポイントも見つかるかも知れない。安易な 気持ちで車を進めてみたがまさにドンぴしゃの第六感で登山口を見つけてしまったのです。 竹田城址の駐車場を少し過ぎた頃『宝くじ桜植栽地』という小さな石碑と2〜3台ほど 駐車できるコーナーがあった。登るのならこの辺りからかなあ・・・ふと足元を見ると 『大路山登山口』と書かれた木ぎれが地面に突き刺されている。なんや、登山道があったんや! いとも簡単に登山口が見つかって拍子抜けだ。 さっそく準備をして登りはじめる。よく踏まれた歩きよい道。植林もあるが松が主体の 山容だったので、どうやらまつたけ山としての人の出入りもあるようです。ところどころ 木片に『←大路山 竹田城址→』と書かれたプレートがある。分岐ごとにあるので 地形図が無くても大丈夫。
地形図にある410mピークに着くと、そこにもプレートがあって『赤松の向こうに 大路山が見えます』と親切に書かれている。確かに松越しに目的の大路山が見えている。 それほどメジャーとは言えないこの山にこんな良い道と丁寧なプレートがあるとは まったく驚きだった。 鹿避けネットが現れると展望ポイント間近である。その手前足下に注意!太いワイヤーが 道を横切っている。つまずかないように(下りの時は特に要注意)赤いテープや布で 目印されている。実はこの 場所には再度訪れることになる。さて鹿避けネット付近からは北〜東方面がよく見える。 残念なことに黄砂でかすみがひどい。それでも竹田城址を一番手前に粟鹿山、金梨山等が よく見える。真北は大倉部山が大きくそびえ、滑り台のような傾斜で東に傾いている。 室尾山、西床の尾、富岡山、居母山もかすみながらも確認できた。
現在位置を確認しようと地形図のコピーをポケットから取り出そうとしたが無い。 どうやら途中で落としたようだ。15分ほどロスしながらも探したが見つからず。 明確な道なのでとりあえず頂上までは大丈夫と自分に言い聞かせる。 ネットからちょっと左に逸れながら傾斜は急になる。もうすぐ頂上を確信する。 頂上手前から右に巻くように踏み跡がある。たぶん真西に延びる尾根に乗れる道だと思う。 9時半に登り始めて10時45分に頂上に立つ。三等三角点、標高603m。 三角点は無惨と言えるほど破壊されていた。
頂上は小さなスペースしかなく、周囲は木に囲まれていて竹田城址だけがちらっと確認出来た。 枯れた松の大木が一本あり、その枝には『←大路ダム』と書かれたプレートがある。 地形図のコピーを紛失していなければ 先ほどの巻き道でさらに西へ行きたかった。地図がない今はピストンで下るしかないと あきらめていたのだが、このプレートに従って下山すれば少なくても周回が出来そうだ。 昼食には早すぎるのでとりあえず大路ダムへ向かって下山をすることに・・・。 コンパスで確認するとどうやら南へ下っていくようだ。登りほどではないが道はしっかりしている。 岩と松、赤っぽいザレた砂地で滑りやすい。しかし登りではほとんどなかったミツバツツジが多く姿を 現しはじめる。予期しなかったのでこいつはうれしかった。
ツツジを楽しみながら下山をする。トラロープのあるザレた急斜面ポイントは東に展望がある。 下を見ると地形図にも手持ちの道路地図にも載っていない大路ダムも見える。ふと考えた。 竹田城址と立雲峡の桜が満開の時、観光客で満杯のそこへ行くより、静かに風に吹かれながら、 ここから両方眺める方が粋ではないだろうか。
降り立ったところには登り口と同じような小さな立て札があった。それと地蔵堂(寺山地蔵堂 と書かれてあり、中には地蔵菩薩の石仏がある)が建っている。ここからはダムと管理棟が すぐの距離である。横の『ひなた橋』を渡ってすぐの芝生でお昼にする。 さてこれからどうするかだ。ダムを下ると竹田城址までは延々の舗装路歩きとなる。 時間はまだ12時10分なのでどこか登り返しが出来そうなルートはないものかと、 遠く管理棟の方を眺めて見る。 すると今立っている真後ろの倒木向こうになにやら道らしきものがありそうだ。 近づいて見ると木片プレートに『千眼寺跡登山口』とある。 先ほどの下山口から地蔵堂、ひなた橋と距離にして100mもない。偶然小さなプレートが 目にとまったが、これまた感が冴えていたと言えるのでしょうか。それにしても千眼寺跡とは どこを指しているのでしょうか? 今立っている所に千眼寺があったのか、あるいはこの道を登った所に千眼寺があったのか、 答えを求めるためにも登りはじめる。 倒木を越えたとたんに良い道が現れる。ここもツツジが咲き誇っている。ツツジを見ながら 登っていると急斜面も苦にならないから不思議だ。この先なにが現れるか楽しみなのも 疲れない一因かもしれない。忠実に尾根上に道はある。だいぶん登った頃ちょっと 広いピークに出た。これぐらいの広さなら寺跡というより庵跡ってぐらいか。
ところがその先が広かった(写真:千眼寺跡その1)。木の幹には『千眼寺砦』と小さな プレートがある。さらに道は登っているが右手をちょっと下ってみよう。 尾根から見ると三つの段差になってさらに広い敷地が広がっている(写真:千眼寺跡その2) 「いやっ〜!広い、広い!」と独り言。これなら寺が建っていてもおかしくない広さだ。 尾根に戻ってちょっと進んで驚いた。さらにさらに広い平地がある。 ここには石垣跡もあり、寺跡だったという現実味が増す。この辺りそうとうの標高だが、 これだけの寺を維持する水はどこから入手するのだろうか?周囲をちょっとうろついてみると わずかにちょろちょろと浸み出している所があった。今はオタマジャクシが泳いでいるが 昔なら重要な水源だったかもしれない。 この千眼寺跡から雑木の林の中を登ると朝方利用した登山道に合流した。前述のちょうど道に ワイヤーが横切っているところだ。ちなみに振り返っても千眼寺跡方向には踏み跡はない。 ここからは駐車ポイントまでなんの迷いもなく下山できる。舗装路も歩かなくて良いので この周回ルートは大満足であった。落とした地図は途中で拾いました。13時20分下山。 車で久世田の集落へ行ってみる。おばあさんが道ばたに座っていたので話をしてみる。 すると千眼寺跡のことも、大路山のこともよくご存じだった。大路山は別名寺山とも 言われているそうだ。それは千眼寺に絡んでそう呼ばれていると想像したが、家に帰って 調べてみると点名も『千眼寺』となっていた。 おばあさんが言うには、戦国時代あのお寺は竹田城の重要な水源で、城まで水を引くための竹樋 が延々山中に続いていたといういいつたえがあったそうです。何のためにあんなに良い登山道が あったのか不思議に思ったが、ひょっとしたら水路の名残だったのかもしれない。 |