遠阪峠〜粟鹿山〜けえ坂

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 8.21.  土曜日  曇り時々晴れ  気温蒸し暑い
兵庫の中央分水嶺を歩くシリーズも佳境に入ってきました。 今回は遠阪峠スタートで粟鹿山を目指します。単独だった場合の計画は、青垣町の稲土から 管理道をMTBで山頂まで登り詰め、そこから遠阪峠に向かって下っていくつもりでした。 ところが母たぬきさんが同行してくれることになったので、ちょっとロングですが表題のコースで 山東町の与布土まで行ってみましょう。

その与布土の登山口にたぬきさんの車を止めて、私の車で遠阪峠まで戻ります。 遠阪峠は車を止めるところに苦労しますが、前回の 遠阪峠〜小風呂〜千原峠 の時と同じ所に止めてスタート。9時10分。足元はヒル除けの処置を万全にする。

峠の両側はコンクリートの塀になっているが、まさに分水嶺とおぼしき箇所には誰が付けたか マーキングがあるのでそこをよじ登るのが正解である。しかし、いかにもヒルが出そうな 雰囲気だし、今回はさほど分水嶺の正確なトレースに固守していないので、ちょっと青垣町側に下った 木材の積み出し所から登ろうとたぬきさんと話す。峠の標高が370mほどで粟鹿山が960m・・・、 600mの標高差がある。
材木積み出し作業所から登る谷沿いの仕事道を行く

『ゴミの不法投棄厳禁』の看板横から入ると数台の車が止められていた。作業をしている人がいたら ことわりをいれようと思ったら、それらの車はすべて廃車だった。ということは誰もいないと いうことか・・・??とりあえず作業用の道を登っていく。 5分ほどで右上を見ると送電線鉄塔があった。本来なら鉄塔から尾根をたどるのが 普通らしいが、今歩いている仕事道がすこぶる快調で歩きよい。私の予想ではこれも 尾根に続いていると思うのでこのまま行きましょう。

道は谷に沿っていてほとんど水平を保ったまま一向に登っていきません。そのうち 左手に川が現れてしまいました。こりゃあ、引き返すかどこか適当な所から 分水嶺によじ登らなければなりません。

どうしようかと進んでいくといきなり広い谷に出る。そこは伐採の済んだ斜面に囲まれた 明るい谷だった(九十九谷という名前らしい)。分水嶺の脇によもやこんな所があろうとは思ってもみませんでした。 伐採跡は痛々しいが広い谷は開放感にあふれている。地形図で現在位置を確認して 横手の斜面をよじ登っていく。そこは603ピークだった。10時ジャスト。
伐採の九十九谷から分水嶺へ登る役行者石仏ピーク

このピーク周辺だけ足元が悪かったがそこからは快適尾根が続く。 しばらくは左手の伐採の谷を眺めながら歩くことになる。先頭を歩いていると目の前のピークに なにかがある。近寄って驚いた。そこには役行者石仏があった。 在るとは聞いていたがこのように分水嶺の真上にあるとは思わなかった。

残念ながら文字は一切彫られていなかったのでどこがお祀りしているものなのか、 いつの頃のものなのか推測するのもむずかしい。 「なんでこんなところにあるんやろうねえ・・・不思議や」と、たぬきさんと 話をする。稜線からは見えないがこの近く、山東町側に不動岩という岩場があるらしい (実際麓からも岩が見えます)。 それと関連があるというのがたぬきさんの説。
カラコ山手前から登ってきた方向を見る
662.5mの三角点ピーク手前がこの付近での最高の展望所だ。おやつ休憩を兼ねて同定を楽しむ。 写真ではわからないが青葉山、弥仙山などもくっきりと見えていた。 遠阪峠の反対側にある分水嶺のピーク小風呂(湯舟山)ももちろん確認。 たぬきさんにもらったプリンをたいらげてここの裏手にある三角点ピークへ向かう。

急にヤブになる。それをくぐり抜けると三等三角点と航空標識のあるカラコ山の頂上です。 標高662.5m、10時50分。ここの行政区は山東町ですが、大字は柴で小字が日陰山となっています。 カラコ山がもし青垣町の呼び名なら山東町では日陰山かもしれません。

立木には『ホワイトバード』のプレート(書いてある漢字相変わらず間違ってるで〜)がぶら下がっている。 日付を見ると今年の1月10日とわずか半年強前のものです。ところが止めている針金が幹に食い込んでいる。 それを見て植物の成長の早さに驚く二人。木は痛い痛いと泣いていますので もちろんプレートは廃棄処分にさせていただきました(山にとってはゴミですからね)。
またまた伐採地に出ました

651ピークの手前ぐらいからまた大伐採地が出現します。その向こうには電波塔の林立する 粟鹿山の山頂も見えています。こちらの伐採地は最初のよりだいぶん古いようです。 どこを見ても急斜面ばかりで、うっかりすると足を滑らせて滑落してしまいそう。 おぉっ!向こうの斜面を鹿が駆け下りて行きますぞ!!

651のピークを巻いて向こうの鞍部へ行けないものかとたぬきさんと山腹を行きますが 途中でどうしようもなくなり稜線へ復帰します。あ〜っ、時間をロスした〜。 その鞍部には11時30分。残念ながら峠を示す石仏などの証拠はなかったですが、 右の山東町へは明確な道が、左の青垣町(遠阪峠の登り口である今出の集落)へも薄い踏み跡がありました。

ここから一気に150m以上の登り返しがあります。お昼を前にしてお腹も減ってきたし ここが一番の頑張り所。斜面のどこでも登っていけますし、途中からは古い仕事道の跡が出てきます。 それらをたどりながらピークに到着しました。11時55分。ここはムカエ山への分岐でもあります。 そちら方面にはゆるやかに下っている良い道があるをの確認。
雑木の分水嶺を行く管理道との出合い

展望はまったくありませんが、急登りで疲れたしお腹も減ったのでここで昼食にします。 (この手前には切り株ベンチがあり大伐採地を見下ろせるビューポイントあり。 そちらがおすすめ) 食後に急登りがあると身体が重くて辛いですが、地形図を見てもここからはそれほど たいへんそうでもありません。どのあたりから笹藪が現れるのかと期待?していましたが 赤松の林やら雑木の林が続き気持ちの良い期待はずれです。

管理道との出合いに着く。12時40分。地形図ではちょっとした断崖として描かれていますが、 ぜんぜんそんなことはなくフラットに管理道と繋がっていました。それよりも管理道と反対側に 池があるのを発見。いままで何度かこの管理道で粟鹿山へ登ったことがあったのに この出合いポイントの記憶もないし、ましてや池があったなんて今日初めて知りました。 みなさんは池の存在は知ってました??春にはなにか花が咲くのかなあ・・・。

この地点は「池ヶたわ」と呼ばれていて、稲土から山東町へ下るルートとして、 地元の人にはよく知られたところらしいです。もしこの池から稲土と山東町の 両方へ水が流れていたらすごいことだと思いません??
展望のない展望台最後のヤブを漕ぐ

この出合いから一登りで展望台に着きます。これはだれもが知っているポイント。 コンクリートブロックで出来ていて中はたき火の跡がある。ハシゴで上に登ってみたが 周囲の木々が大きくて展望はまったくない。ここは山東町当勝神社からの 登山道出合いでもある。

ここからズルして舗装の管理道を歩く。稜線を歩いているのと違ってあきらかに管理道は 蒸し暑い。右上に見える分水嶺を見てみるとまだ笹藪ではないようだ。このまま管理道で 頂上まで行くのはいかにも情けないのあらためて稜線に復帰!! う〜ん、やっぱり山道の方がええなあ・・・たぬきさん。

このまま藪の無いまま頂上まで行けるのかと思っていたら甘かった。いきなりカヤトと熊笹の藪が出現する。 そらそうです。ここは分水嶺とはいえ林道でも作業道でもありません。頂上にある電波塔の施設 は目の前に見えていますがなかなか前進が出来ませんぞ。スイスイと登っていくのは水を得た魚ならぬヤブを得たたぬき。 半袖でこのヤブを漕いだ私は両腕がかぶれていました。・・・・(T_T)
最後の石垣をよじ登って左から回り込めば施設に囲まれた一等三角点です。13時30分。 こんな所からはい出たりしてハイカーがいればびっくりするだろうなあ。
遠望はありませんが、一等三角点からの展望です
幸いにも?誰もいなかった。周囲を建物に囲まれた三角点だが、写真の方向にだけ展望が開けている。 粟鹿山はその山頂に巨大なアンテナ施設あってがっかりさせられるが、唯一開けたこの 展望だけが楽しませてくれる。今日は残念ながら遠くはまったく見えません。 しかし黒川ダム湖を周回して青倉山を通過する分水嶺、 さらに大持山、もっつい山、法道寺山・・・と続く生野銀山湖を巡る分水嶺。 さらに奥にはフトウガ、段が峰、笠杉山の分水嶺だ!!

無線もちょこっとやってそろそろ下山です。14時10分。 山東町の建てた立派なトイレの脇には『奥山林道』の標識があります。 気持ちよいシングルトラックが出現します。すぐに分岐あり。 黄色の板に『与布土→』とある方は明確な道、左のヤブっぽい踏み跡は仏岩へ行くルートです。 こちらも整備すれば面白い道なんだけど・・・・。
ネットをくぐらずに熊笹をくぐるけえ坂を下ると新設林道に出た

鹿避けネットの箇所が要注意です。鹿避けネットをくぐると正規の登山道で下山。その手前を熊笹に 向かって下っていくと分水嶺をたどることになる。 どちらも駐車ポイントには行けますが我々はもちろん分水嶺コースです。 誰が付けたか赤いテープのマーキングもちょこっとあり。

ここはたぬきさんも私も通ったことのある稜線ですから迷うことなく進んでいけます。 途中には伐採地もありそこからは仏岩のある笹尾根付近が見えます。 680ピークを下りきればそこが山東町と青垣町を結ぶ『けえ坂』という分水嶺の峠です。 15時05分。どちらにもしっかりとした道が下りています。

昔、竹田の村に行商をする若者がいた。けえ坂を越えて丹波へ行商に行ったとき一人の娘にみそめられた。 娘は若者が忘れられずに自らけい坂を越えて会いに行く。ところがけえ坂は化け物が出る所で百姓、町人、侍までも 災難にあったり行き倒れたりする難所であった。そこで娘は野良着を着て頭には百匁ろうそくを二本ともして まるで化け物のような姿をして峠を越えた。ある日若者は「男さえ気味の悪いあの夜の峠をどうやって越えてこられるのだろう・・」と 物陰にかくれて峠から娘が下りてくるのを待った。すると化け物に扮した娘が現れた。若者は娘が化け物の化身だと思い、 「もうおまえとは会わない」と逃げ帰る。あくる朝、草刈りの百姓が峠で、のどを獣に食いちぎられて死んでいる 娘を見つけた・・・・。

そういう昔話のある峠ですが石仏もなく残念な思いで山東町側に下山する。つづら折れの歩きよい道が続くが 谷に下りたったその先には明るい空間が開けていました。なんと新設の林道工事がされていて そこに飛び出す。化け物の出てくる雰囲気はまったくなくなっています。 そのまま林道を歩いていくと与布土登山口に到着。15時25分。

たぬきさんの車で遠阪峠まで引き返して私の車を回収します。 思えばヤブらしいヤブもなく、遠阪峠から粟鹿山の頂上まで分水嶺を忠実にたどることも可能でした。 ちょっと迂回したことが悔やまれます。

今回の遠阪峠〜粟鹿山〜けえ坂の地図は こちら(約180k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


ホームにもどる