扇の山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『扇ノ山』を参照いただくようお願いいたします。

2003. 8.24.  日曜日  晴れ後雷雨  気温ふつう
私と扇の山との相性は妙に悪くて、いつも雨で泣かされている。去年もちょうど今頃の時期にMTBを用意して望んだが、 小雨にたたられて急遽『シワガラの滝』の見物になった。今年もお盆にこの山を計画していたが雨でやむなく中止になり、満を持してのリベンジが 今日です。

氷ノ山のエアリアマップとか、地形図を見ると上山高原から山腹をほぼ水平に点線のルートが描かれている。 それはうねうねと山中を巡って渓谷に降りる。その渓谷を下れば霧ヶ滝に、逆に谷を遡行すれば 大ズッコと山頂の間にある鞍部まで駆け上がっている。 今回はこれを利用して扇の山へ行ってみようと計画する。下山はもちろん一番乗れる県境の尾根を 北に下って河合谷登山口へ降り立つ案配です。
上山高原

まずはゴール地点に車を止めてそこからMTBで上山高原へいったん降りる。下りながら高原方向を 見ると、そこにあるのは三角点のあるこんもりとした上山のピークだ。舗装の林道で一気の ダウンは気持ちよいけれど160mの標高を下ってしまうのはちょっともったいなく思える。 上山高原には昔キャンプ場でもあったのだろうか?フラットな草地と道からちょっと見えにくい所に炊事施設?が ある。今回その付近に新たに避難小屋の建設がされていた。こんなとこに小屋を建てて 誰が利用すんのやろ??
三角点のある上山はフラットで見晴らしよし

その近所に『←畑ヶ平高原 畑ヶ平林道 3,500m』という道標がある。今回のルートの 入り口であるが、こいつに突入する前にまずは三角点のある上山に登ってみよう。 緩い傾斜を登り切るとフラットな草原が広がっている。ゴミ箱が転がっていたりして、 まるで手入れの悪い公園といった風情であるが、違うのは周囲360度見渡す限り山々・・・・というところだ。 残念なことはすぐ近くにある目的地の扇の山ですらかすんでしまってくっきりと見えないことか。 扇の山から視線を南に振ると懐かしの青が丸、その隣にはまだ未踏の仏の尾のピークがあった。
上山ー畑ヶ平ルートへ突入!!

上山から降りてさっそく『上山ー畑ヶ平』ルートへ突入する。10時45分。シングルトラックの両側は草深いが 路面は状態が良く、出だしからスイスイと乗れる。といってもメジャーなルートではないので 熊が出てこないか気が気ではない。時々奇声をあげながらクランクを回す。 最初のコーナーで『警告・・・・』と書かれた看板があった。エアリアマップを見ると、 このルートから分岐して霧ヶ滝へ行けるような記載があるのだが、 どうやらそのルートで滑落事故が何件もあったので通行禁止の呼びかけであった。
けっこう乗れるじゃん!!木地師の墓石

短いダウンを楽しんで、川を渡り、ブナの茂る斜面を登り返すと入り口にあったのと同じような木製の道標があった。 傷だらけのその道標はM氏に言わせると「熊の仕業や!」ということらしい。私はそんなことよりも その裏手にある三基の墓石に目がいった。真ん中のものは表面がツルツルで彫られていた文字が摩耗したのか、 最初から彫られていなかったのか不明。左のやつには真ん中に女性の戒名が彫られている。 『寛政二戌(1790)九月十八日』の年号があり、『小椋長五良 母』とも彫られている。

小椋姓ということはどうやら木地師一族の墓であろう。それもこのちょうごろうさんという人のお母さんの墓らしい。 いちばん右端にある小さな石も調べてみる。するとこちらも女性の戒名で『寛政四子年(1792)八月十四日』の 年号が。さらに驚いたことに『長五良 妹おみち』の文字がある。 どうやらちょうごろうさんのお母さんと妹(おみちさん)の墓らしい。二年の間に親族を二人も亡くされた長五良さんの 悲しい気持ちを思い浮かべたりする。

地形図の905mの標高点近くに建物のマークがあるのでそこで休憩を予定していたが、出会うことなく通り過ぎてしまった ようだ。どうやら先ほどの墓地付近が分かれ目であったように思えるが道はもうないのかもしれない。 もう一基墓石が道沿いにあった。これまた女性のお墓であった。『天明六午年(1786)正月十三日おるつ』と 彫られている。M氏が「また、女の墓かいな。ひょっとして扇の山って『姥すて山』ちゃうか?!」などと言う。 あんまりそんなこと言ってるとあんたが捨てられるで・・・・。 熊に出会えなかったのは残念だがこういった歴史の遺物に出会えたのはうれしかった。

谷に向かって急下りになる。ここが霧ヶ滝への分岐となっているため、またまた『警告・・・・』の看板があった。 我々はここの流れを登っていくことになる。踏み跡はいたって明確。暑いので裸になって川に飛び込みたくなる。 ふと足元を見ると100Vの電灯線に利用する碍子が転がっている。心なしか地面もフラットになっていて 足で土をどけてみるとコンクリートの基礎が出てきた。どうやらここが地形図にある二つ目の建物マーク地点らしい。 もちろん建物は跡形もない。

道なりに進むと川を渡ってしまい尾根に向かって登っている。川沿いに登るはずなので立ち止まって地形図をにらむ。 「おかしいなあ、この先に別のルートが新しくできたんやろか?」うだうだ言っていると突如大雨が降ってきた。 また、悪いジンクスが当たったのか??相当の降りなのに木陰に避難するだけで全く濡れることがなかった。 雨がやんで谷に戻り地形図にあるルートを探すがどう見てもなくなっているように思える。 考えれば上山高原にあった道標には扇の山とは一言も書かれてなく、畑ヶ平高原としか書かれていなかったのだ。
何回も川を渡る畑ヶ平登山口

引き返すこともできないのでとりあえず畑ヶ平へ行き、その最上部にある峠からある扇の山登山口を 利用することにする。登山口に到着したときにはすでに13時になっていてハンガーノック寸前に なっていた。もちろんここで食事をしたのだがすぐにエネルギーになるわけもなく、ここから始まる 登山道はヨレヨレの状態で登ることになる。

先行のM氏を追いかける余力もなく数十m歩いては休み、階段を数段上っては休みを繰り返す。 扇の山の頂上は左手に見えているのだが、ぐるっと回り込むように登っているようだ。 登山口でお昼を食べている頃から遠雷がゴロゴロと不気味な音を立てていたのだが徐々に 近づいているようだ。ようやく大ズッコからの尾根と合流だ。雷に遭遇しないうちに頂上へ行きたい。
畑ヶ平コースもブナありまっせ豪華かき氷だよん

登山口から1時間で久しぶりに扇の山頂上へ到着。安堵感で腰も砕けそうになる。なんと、もう14時じゃん!! 砕けている場合ではない!!今から恒例の行事を行わなければいけません。だれもいない(到着したときは数組の ハイカーがいたが我々と交代するように下山していった)避難小屋の一階を占領してかき氷の準備をする。 発泡スチロールでできた断熱ケースに入れた氷はどうなっているだろうか?? 6時に家を出たからなんと8時間もたったことになるのに氷はあまり溶けていなかった。 M氏は牛乳パックで水を凍らせて新聞紙を幾重にも巻いて保温している。さすがM氏! これって八甲田山を雪中行軍した軍人達が新聞紙を身体に巻いた故事を参考にしているのか?! 明治時代から進歩してないやん。

避難小屋に入ったとたんものすごい雷雨がやってきた。さきほどの豪雨といい、この雷雨といい まったく濡れずに居れたのは不幸中の幸いである。さきほど下山していった一行はレインウエアーを 着ていてもそうとうダメージはあるでしょう。私は雷雨を見ながら五杯もかき氷をおかわりして しまいました。
雷雨も去ったので下山しますか登山道は川になっていた

雷雨も過ぎ去って下山の頃合いとなりました。しかし、登山道は川のようになっています。 山頂と大ズッコの間になる鞍部は泥田のようになっていて通過するのも困難な状態だった。 霧ヶ滝からのルートはどうなっているのか確認するつもりだったが泥田に気をとられて 見過ごしてしまった。
ブナの幼木帯を走るドロドロの身体を洗う

大ズッコを登り返した先にあるブナの林がなんといっても最高である。 扇の山は頂上に登らなくてここを歩くだけでも満足できそうだ。 なんとも絵になる所だがよく見るとMTBのタイヤの泥はねでリュックも 身体も全身ドロドロである。 車を駐車した河合谷登山口まではとにかく乗れ乗れなので写真も撮らずに ガンガン走る。15時山頂から下り始めて15時40分登山口着です。 最後は登山口にある自然のシャワーできれいになりました。

今回の扇の山の地図は こちら(約150k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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