はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『大仰』を参照していただくようお願いいたします。 2003. 4.26. 土曜日 曇り 気温ふつう(強風)
知り合いの方が私を呼んでくれる時は『やまあそさん』、『はりまおさん』というハンドル名の
時もあれば、本名の『しまださん』という時もある。時々、人の名前のついた山の話題が出ることがあり、
まさか自分の名前の山なんてないと思っていたらなんと三重県にあった。しかも三重県一志郡にである!!
なぜ驚くかというと、私の名字は島田で、名前は一志なのです(^^;)
そうなれば一度この本名の山に登ってみたくなるのが人情と言うもの。ちょうど伊勢に行く事になったので、 さっそくチャンス到来だ。地形図を調べると山腹をぐるっと一周するように点線の道もあった。 高低差がほとんど無いのでMTBでも遊べるかもしれない。もちろん歩きの用意と両構えで出かける。 前日の深夜から家を出て山の近くで車中泊をする。雨と強い風が心配だったが、翌朝には止んでいた。 この山の正確な所在地は一志郡嬉野町である。伊勢自動車道の一志嬉野ICの真西にある 低くて小さな山塊がそうだ。この伊勢自動車道を挟んで西側は嬉野町島田、東側は嬉野町一志という 字である。ちょうど統一地方選挙の選挙運動の真っ最中。もし私がここに住民票を移して立候補したら 知名度だけで当選するかもしれません(^_^)v
JRの一志駅もある。単線の小さな無人駅だった。道を挟んで向かい側には近鉄の駅もあり、 そちらの方がにぎわっている。誰もいないプラットホームでセルフを撮る。その後も山道のぬかるみが 乾かないかと山と町の周囲を車でうろうろして時間をつぶす。村の人にも聞き込みをして何カ所か 探ってみたが、入り込んだら数分で全身がびしょぬれになりそうだし、その先が 続いているかはわからなかった。 島田の集落から北の小山に山腹を貫いている小径の途中には自衛隊の射撃訓練所がある。 土曜日だからやらないかと思ったら、8時ぐらいから撃ちはじめている。けっこう離れた 位置からでも迫力のある音がする。肝が縮むとはこういう感じか!その射撃場の真上を通る なんて・・・と、すでにあきらめモード。「あいつら下手やから流れ弾飛んでくるで」と 追い打ちもかけられる。 この小径の北の終点である小山の青厳寺にも行ってみた。小径の途中にある神社マークは 熊野神社らしいが、山崩れで里に降ろしてしまったそうだ。したがってこちらからの道は 不明瞭らしい。「お寺の裏山には名前があるのですか?」村の老人に聞いてみると、 コトリ山というらしい。167mピークのことか?ちなみに島田の集落では島田山のことを 大森山とも呼んでいるらしい。 |
一志嬉野IC付近から見る | 標高186.4mの三角点ピークです |
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翌日登った経ヶ峰の頂上でこの付近に詳しい男性と知り合った。まさか知らないだろうと
この島田山の事を切り出してみると、なんと登ったことがあるという。もちろん
道はなく斜面をよじ登ったそうだ。頂上の三角点付近は古墳のような感じだったという。
そう言えば村の人も古墳が近くにあると言っていたし、スリーセブンゴルフ場から別荘地
(山の南山腹にある)に入り込むと『兄弟塚』と書かれた小さな道標もあった。
結局はあきらめてしまう。そうすると伊勢の用事までに時間が有り余ってしまう。どこか 簡単に登れそうな山はないものかと車を走らせていると、たまたま道路から 発見したのがこの島田山の南にある枡形山。道路から見ても頂上が木もなく真っ平らで、 なにか尖った物が建っている。登山口への入り口らしき所には『白米城址』、『阿射加神社』と 二つの石碑がある。城跡なら登山道はまちがいなくあるだろうと阿射加神社横の林道を詰めていく。 終点に車を停めて登りはじめる。 谷道だった。最初は良かったが木製の階段になって歩きにくくなる。そのまま尾根にたどり着く。 そこには『山辺の道』という道標がある。右手が頂上。左手は別方向への下山道らしい。 こちらの方が道は歩き良さそう。登り口から遠くなければ下山に使えるかもしれない。 地形図はもちろん用意してなかったが、せめて道路地図とコンパスだけでも持ってくれば良かった。
尾根から頂上への道は具合がよい。途中にはステンレス製の大きな案内板があった。 それでだいたいの地形を頭に入れて登っていく。山頂が近づくにつれて猛烈な風が 頭の上を吹き抜けていて、木々のざわめきというよりは今にも倒れてきそうな勢いだ。 |
頂上には石碑があるだけ。南から東方向 |
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同じく北から西方向。雲で遠望は無し |
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大きな土塁を回り込むように登るとそこが頂上。まるでプリンの形のようにきれいな台形を
している。木は一本もなくフラットな芝の広場。
道路からも見えていた尖った物は大きな石碑だった。
赤白ポールの横には三等三角点。林道の終点から写真を撮りながらでも20分ほどで登れる。
標高312.6m、山名は枡形山というらしい。たしかに現在ではプリンと形容するのがそれらしいが、
昔は枡の形に見えたのでしょう。
まず驚くのは低い標高なのに展望がすばらしいことだ。目の前には松坂の平野越に伊勢湾が広がる。 北には登り損ねた島田山とその向こうに雲に隠れた経ヶ峰。雲が低くたれ込めているので良い時の 10%も見えていないだろう。風に流された雲が経ヶ峰から伊勢湾に流れ込んでいるように見えて、 その向こうの御在所岳は見えなかった。無線でつながっただめちゃんは入道が岳の途中だったが ガスで覆われているというふうではないらしい。 とにかく風がきつい。おだやかな日和なら芝生に寝ころんでオカリナでも吹きたくなるが この強風ではゆっくりもできない。すぐ北にも同じような標高でピークがある。そちらへ行ってみよう。 5分もあれば北のピークに行ける。途中には二箇所ほど堀切の跡がある。こちらのピークも 台地状になって一段高くなっていて南北に細長い。ここには大きな木が茂っていて先ほどの 城跡ピークだけがよく見える。
案内板を見るとこちらは椎ノ木城と呼び、あちらは白米城というらしい。そして二つまとめて 阿坂城となっていた。先着の男性が一人いて写真を撮っている。どこから登ったか聞いてみたら、 浄眼寺からだという。北方向にはさらに道があって、それがそうらしい。ちょっと下ってみたが こちらも良い道だった。ということは私が登りに使った林道コースがいちばんつまらなそう。 浄眼寺に降りると林道の終点に停めてある車まで戻るのがたいへんそう。そこでもう稜線分岐に あったもう一方の道で下ることにする。こちらなら下山後もさほど歩かなくてもよさそうだ。 もう一度白米城址に戻ってそこで軽食を食べる。火は使えないのでスポドリでパンを喉に押し込む。 山頂からちょっと下ったところには縦走路の入り口がある。ここ枡形山はこの山塊の北端にあり、 ここから鉢ヶ峰(420m)、観音岳(605.9m)、堀坂山(757.4m)と南につれて標高が高くなる 縦走路があり、かまぼこ板標識には健脚向けとあった。まさに松坂市の屋根と呼べる山塊である。 分岐からの道は思った通り尾根のゆるやかな下り道だった。ちょっと小ぶりのちごゆりがたくさん咲いている。 犬連れのハイカーとすれ違った。ここならMTBでも乗車率は80%以上はある。でも山頂付近にある 案内板にはオートバイ、自転車の乗り入れ禁止とあった(^^;)。 こちらの登山口はなんの標識もないので初めての人にはわかりにくいだろう。 ぐるっとまわって林道の終点まで登り返す。そして『とことめの里一志』にある温泉で汗を流して 伊勢に向かった。 今回の島田山&枡形山の地図は こちら(約140k) でごらんください。 |