金梨山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『但馬竹田』を
参照していただくようお願いいたします。

2002. 4.19.  金曜日  晴れ  気温あったか
室尾山、御祓山、大路山と立て続けに南但馬の山を登ってしまいましたが、予想を超える おもしろさがありました。今回は先週の大路山の真東にある金梨山です。 標高も463mと周囲の山に比べるとずいぶん低いし、三角点もありません。 自分の意識内にある登る山順位としては下位に属していました。ところが二日ほど前の新聞に 『頂上直下にある岩窟にある権現の祠を新しくした・・・・云々』という記事を偶然眼にする。

「えっ〜!頂上にそんなんあるの?」ということで、こうなると登らなくてはいけません。 先週とまったく同じルートで和田山町に入る。今回は竹田城址を左に見て立雲峡へ向かって交差点を右折。 和田山町から一旦山東町へ入る。『南但馬自然学校』の施設の看板があるところを左折(北へ)して 小さな谷の中、田圃の舗装あぜ道を行く。畑仕事のおじさんに駐車のお願いをして終点付近に止める。 10時20分スタート。
急斜面の谷を登る

棚田跡はあるが道らしきものはない。探すのもめんどくさくなりそのまま谷を詰めていく。急斜面だが 20分ほどでなんとか尾根にたどり着いた。金梨山頂上から南に延びている尾根だが、 頂上との距離もさほど離れていない。 時間はたっぷりあるので南端にある409mピークへ寄ってみる。雑木の尾根には歩きよい道がついている。 これだけきれいな道があるのは何かの意味でもあるのでは?そう思って409mピークまで 来てみた。なんの痕跡もなかったがピーク手前が小広かったので、砦があったのかもしれない。

Uターンしていよいよ金梨山へ向かう。いきなり多くの大岩が現れ始める。どこが権現のある岩窟だろうか? 大岩があると周りをぐるっとまわって確かめてみる。 展望の良さそうな岩場があった。覗いてみると北から東に向かって大展望がある。 標高が低くいので展望は期待していなかったがうれしい誤算だ。
最初の展望地点から

その先に分岐がある。まっすぐ登っていくのは頂上への道。左に巻いているのはたぶん権現への道だろう。 それをものの1分ほど歩き大岩を回り込むとといきなり展望が広がる。こんどは西方向だ。 正面下には円山川が流れ、その向こうには竹田城址がある。もちろん先週歩いた大路山も。 11時15分。
権現の入り口付近からの展望

それらの展望につい眼を奪われがちだがすぐ右手には権現の岩窟がぽっかりと黒い口を開けている。 それにしてもなんという岩の大きさだろう。この小さな山の頂上にこれだけの巨岩群が露出して あるのはすごいの一言だ。

この金梨山(加梨山とも書くそうだ)の呼び名は『かなしやま』と言うそうだ。その昔竹田城が 落城の時、お城のお姫様がこの山に逃げ延びて来た。燃え落ちる城を眺めなければいけない 身を嘆き、今居る山を『悲し山』→『金梨山』と呼ばれるようになったとか。 しかもお約束の埋蔵金伝説もある。これだけ巨岩があるとその付近に埋められていると ついつい想像をたくましくする。

『金梨山岩谷大権現』という真新しい木の表札が入り口に見えている。下を見ると倒れそうな 木の鳥居と参道らしき道もある。どうやらこっちの方が正式の登り口のようだ。ちょっと降りて そこからも写真を撮ってみる。左右にある巨岩を押しつぶすように上にはさらに大きな 岩が屋根になっている。登り返して岩窟入り口へ入ってみる。
下から鳥居越しに見る中には真新しい祠が

明日香の里で見た蘇我馬子の古墳のような感じ、両側の岩はどちらも垂直になっているので 到底自然が造った造形とは思えない。後で知ったのだがこの壁のどこかに小さな穴が開いており 一文銭がちょうど入るぐらい。中にその一文銭を入れると落下する音がいつまでも聞こえることから 『底知らず』と言われている。誰か見つけて小銭を入れてみてください。

権現と言いながら祀られているのは『木花咲耶姫(このはなさくやひめ)』で、養蚕の守り神として 祀られているそうだ。新聞にあったように祠は真っ新であった。岩窟の出口を見ると朝来山が真っ正面に 見えていた。

分岐まで引き返してこんどは山頂への道を行く。上にも分岐があって左に行くと先ほどの岩窟上に 行けるようだ。木を掴みながらその付近に出ると足下は悪いし、下は断崖なので身がすくむような感じだ。
上から祠を覗いてみる

頂上までは距離もないのだが巨岩があふれんばかりにある。そのどこかに埋蔵金もあるかもしれない。 いろいろと見所満載だったが頂上は狭く、何にも見えず、おもしろみの無い所だった。11時35分。 ここから北向けに尾根を辿って行けるところまで行ってみることにしよう。その前に頂上で 腹ごしらえだ。しかしこれは失敗。ほんの2〜3分ほど北尾根を行くと、これまた 大展望の岩場があったのだ。12時05分。
ここで食事をすれば良かった

粟鹿山が真っ正面に見えるのは納得で、その雄大さに大満足。まさかと思ったがその右手奥に雲頂山も わずかに見えているように思う。どうにも去りがたい好展望であったが、 ここからどこまで行けるか尾根を辿ってみよう。

道は明確。季節が良ければミツバツツジが楽しめる。高度差もほとんど無くスイスイ進めた。 マーキングも所々ある。ある程度の頻度で歩かれているような雰囲気だ。Ca.400m付近で 左に降りている分岐がある。それはとりあえず無視してさらに正面を下る。さらに 高度を2〜30mほど下ったところでちょっと左に方向を変えて下る。 (右方向、筒江にも下れそう)
途中まで道は明確相変わらず大岩あり

この辺りになるとさすがにどこが尾根か不明瞭で踏み跡はほとんどない。とりあえず歩き良さそうな 所を選んで下るしかない。斜面が急なのでなにかにつまずくと大変なことになる。 雑木がほとんどのルートだったが標高が下がると植林になってくる。 だいぶん里に近づいてきたようだ。仕事道に出会ってやがて獣除けのネットにぶつかる。 それを越えるともう民家の裏手にある畑だ。地形図にあるお寺マーク、明王寺の横をすり抜けて 加都(かつ)の集落内を歩く。13時。

味気ない国道沿いを歩くのと違って集落内の細い道にはいろいろとと面白いものがある。 石仏が数体、古墳が2基、神社も3つもある。その集落も出ていよいよ国道を歩くはめになる。 リュック担いで杖をついているので車からの視線がいやだなあ。 ふと地形図を見ると高圧送電線がすぐ上を走っている。その巡視路を歩けば面白いかもしれない。 さっそく加都にある3つ目の諏訪神社の階段を登っていく。とちゅうで草引きをしている男性に話しかける。

金梨山のことを聞くと、加都からも金梨山へ登る習慣が昔はあって、毎年4月3日になると 子供達だけで登ったということである。(それで尾根に明確な道があったのね) 礼を述べて神社を訪ねてみる。境内は人もおらずただただ新緑に染まっている。 ご神木の裏手にまわると何段にもある石段が現れる。その向こうに鉄塔と巡視路が続いていた。
小さな庵のある明王寺人影も無し諏訪神社

その巡視路を南下中も延々と石段が続いている。どうも昔の棚田、あるいは畑跡のように見える。 円山川は昔に何度か氾濫したと聞く。その影響を逃れるために山腹に幾段にも石段を組んで 畑にしたのではないでしょうか。緻密で崩れないように組まれている石段に昔の人の 苦労が忍ばれる。

鉄塔bR1を過ぎた所に山に登る道があった。道標などはいっさいない。場所的に見てどうやらこれが 権現への登り口かもしれない。その先、畑に出ると作業をしているおじさんが居たので さっそくたずねてみるとまさにその登り口ということでした。でも一般の人にはまずわからない所だ。 国道からこの巡視路に来るまでがわかりにくいし、さらにこの登り口を確認するのは至難の業だ。

そのまま巡視路を終点まで歩き、養護学校裏から立雲峡への県道に復帰。中学生達が各自リュックを背負い 数人のグループでこの県道を歩いている。なにやら紙片をのぞき込みながら歩いている。 所々先生らしき人も立っているので、OLでもやっているのでしょうか。左手を見上げると 先ほどの岩谷権現の岩場がすごい!車を走らせているときはまったく気がつかなかった。 『南但馬自然学校』の分岐で子供達は自然学校へ、私は左のあぜ道を車に向かって歩いた。 14時35分。
赤丸:岩谷権現 ピンク丸:正規の登り口


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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