三郡山(みこおりやま)

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『綾部』を参照いただくようお願いいたします。

2001.10. 6.  土曜日  曇り  気温ふつう
関西でMTBを乗っている人なら必ず知っている?ノーステイクの新川氏が「綾部の三郡山が ええで」とのたまうので、こいつは行かねばならぬ。地形図を買ってその山を見てみると さすが新川氏が言うだけあって、二本の高圧線と数え切れないほどの点線ルートが存在している。 どこを登ってどう降りるか、ベットで地形図を眺めながら考えるのも楽しい。

由良川左岸、JRやまが駅前の府道沿いに空き地があったのでそこへ駐車。ここは 岩根山行者堂の入り口でもある。じつはこの行者堂を下山ルートに設定しているので グッドポイントである。行者堂由来の看板と石で出来た道標『←大はら ぎようじや山  →あやべ』がある。ここは三和町大原へ抜ける峠道の入り口でもあったようだ。10時20分。

MTBで一駅京都寄りのJRたちきへ走る。この駅前から林道が谷沿いに延びている。 地形図で見ると幅員3mから実線、破線と細くなりつつも峠を越えて大原に降りている。 この峠から和知町、三和町の境界尾根で山頂へ行くという算段である。谷の途中に 鳥居マークがあるのはなんだろうか?

平坦な林道は分岐を過ぎると傾斜も急になってくる。M氏はとっとと先に行ってしまい 私は一人さびしく押しとなる。左の谷は杉の植林帯だが、地面は石組みの段になっている。 どうやら棚田の跡のようだ。林道終点のちょっと手前から登り道はあったが終点まで行き、 そこからちょっと登るとお堂に着く。
廃村にある観音堂立派な常夜灯

ここが地形図の鳥居マークだが『和知西国十番大成観音堂』だった。お堂の裏には 板碑石仏が十数体ある。お堂の前にある手水鉢には『文化五辰年(1808年)六月吉日』 とあった。『拾壱面観世音之塔』と陰刻された石やら立派な常夜灯も残っている。 「ここって廃村かなあ?」とM氏に言うがすぐ答えが出る。

棚田とは思えないほど大きな石垣が現れてそこには柱に使われたと思われる材木が 散乱していた。さらに植林の中にはシュロの木、地面には碍子・・・。 何十年前かは判らないがやはり廃村のような感じ。

もう稜線が見え始めているのでずいぶん谷の奥まで棚田をつくっていたようです。 すると石の道標が現れる。『右 大はら道  左 やま道』とあったので迷わず 右を行く。1分ほどで峠になる。大原峠というそうである。11時50分。
なぜかシュロの木峠にて

ここから下ると大原である。ちょっと下ると巡視路があるはずなのでそいつを 利用してもいいが、ここから忠実に境界尾根を登ることにする。 最初こそ判りにくかったがやがて明確に。突如火の用心マークが現れる。 「巡視路と合流や!」と叫ぶ。正確には昔からあった尾根道が巡視路として 利用されているといったところか。

山頂が近づく。この辺りから水平道となり乗車可能。道は山頂を巻くように北から西になり、 二本の鉄塔が見える。 ここが唯一展望のありそうなところだったので昼食とする。12時20分。 青葉山のIRC、DQKさんご夫婦、小金ヶ岳のMXFさんと無線で繋がる。 偶然にも三者ちょうど一直線上の山行きである。

食後MTB担いで山頂へ行く。三等三角点、標高497.9m。綾部市、天田郡三和町、 船井郡和知町のちょうど三つの境界の交点がこの山。よって三郡山(みこおりやま)と名付けられたか?
北方向を見る三郡山頂上

頂上からは真北にある行者堂へ向かって下っていく予定。山頂から少し下ると巡視路に 降り立った。昼食ポイントと山頂からは判らなかったが、ほぼ地形図通りにルートがある。 逆方向へ歩いて辿って、昼食ポイントから見えていた二本の鉄塔周辺まで行ってみる。 巡視路だけあって非常に明確だ。この先は三和町と綾部市の境界尾根上を走っている感じ。 どこまで続いているのかこいつも走ってみたい。

引き返してふと道端を見るとそこのは石仏があった。いつも見かける舟形後背のそれではなく、自然石に 彫り込んだものだったので気が付きにくい。 石の道標もあり、『右ハ かわい大原道  左ハ 大なる道』とある。現在巡視路として あるこの道は上原町の行者堂から大原へ抜ける峠道であったことは間違いない。

さ〜て、ここから極楽のトラックが続く。気持ちよく下っていくとつのまにか行者堂への 分岐を通り過ぎてしまったようで、445mピークの分岐に来てしまった。(その時はまだ 気づいていないが・・・)関電の火の用心マークがあり、右は『乙24』左は『甲24』と なっている。頭の片隅ではおかしいと思いつつも行者堂は右だからと、右を走る。
ガンガン走る!ドンドン走る!

そのうち急下りで谷に降りてしまった。やはり火の用心マーク分岐以前に行者堂への 分岐があったようだ。思い出してもそれらしいものはなかったように思うのだが・・・・・。 高圧線との位置関係から自分のいるのがどこの谷かは 確認できた。鳥居マークのあるピーク(地元で妙見山と呼ばれる標高186mピーク)の右の谷である。 細い流れの横を走る。竹林を抜け、林道を走り、飛び出たところは下原町妙見山登山口横。 14時。 「ここを登ってみようか」とM氏が言うが、それより行きそびれた行者堂へ行こうと提案。

車まで戻り、正面にある行者堂への林道をまずは車で登る。ひょっとしたら行者堂まで 車で行けるのかと思ったのだが、すぐに『行者堂登山口』の看板のある分岐となる。 まったくの登山道なのでまたもやMTBを組み立てて押していく。

急登りの連続で押していくのが精一杯。しかも岩盤の路面に苔があり、ズルズルと滑りながらの 登りとなる。「下りが怖いなあ・・・」と二人。だいぶ登った頃またもや標識のある分岐となる。 左が行者堂、右はなにも書かれていないが、こいつが三郡山へのルートだ。ほんとうならここに 出る予定だったのに・・・。

14時50分お堂に着。鳥居の向こうにお堂が見える。反対方向の390mピークは 多くの露岩があるが、これが岩根山か? この岩根山行者堂は安永六年に山家城主谷衛友公により建立されたという。 現在のそれは明治三十九年のものであるが思ったより大きく立派でおどろいた。 お堂の裏には左右に下る道があり、行者像の石仏も数体あるようだ。
岩根山行者堂行者堂、三郡山分岐

これでまがいなりにも当初の目的達成。あとは下るだけ。歩くにはスリッピーな苔の岩 も不思議とMTBのタイヤはグリップする。「いやっ〜、よかったねえ」と今日一日 大いに下りを楽しんで帰路に着く。加古川からはちょっと遠いが楽しい山域であった。

当時を思い出しながら地図をアップしました。細かい所は間違っているかも。

今回の三郡山の地図は こちら(約150k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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