法道谷〜行者岳

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『但馬新井』を
参照していただくようお願いいたします。

2001. 9.29.  土曜日  晴れ  気温ふつう
法道谷を起点とする山歩きは今回で4度目となりました。初回はMTBによる 法道谷渓谷〜法道寺山。 2回目は歩きでヒルのまっただ中をもっつい山。 3度目は笹倉さんともっつい山〜大持山の縦走。 いずれもなかなかのおもしろさがありましたが、今回は法道谷本谷を詰めてそこから行者岳、 下山は多々良木ダムへというメニューです。

MLに書き込みましたら、笹倉さん、みーとさん、かもちゃんの参加があり非常に心強い。 下山予定地の多々良木ダムに車を止めて、もう1台で銀山湖の法道谷入り口に行く。 ここから遊歩道を歩き、二つの落ちた橋跡から本谷である左の流れを遡ることになる。 (そこまでの状況は過去のレポートをご覧ください)

歩き始めた頃(9時50分)はまだ肌寒くて長袖を持ってこなかったのを悔やむ。 が、この涼しさならもうヒルはいないだろうと安心もする。実際お地蔵さんの祠までは なんの出現もなかった。ここで各自それぞれに足元を固めて川へ入っていく。 本当は本谷左岸には遊歩道があったのだがそれも昔の話で今は崩れて鉄骨の残骸があるのみ。
各自それぞれの足岩盤の川床を行く

今日は水量が前回より少ない。(ひょっとしたらこれがふつうかも)真っ平らで なんの出っ張りもない川床は感動ですらある。MTBで走るもの写真的に面白いかも。 本谷入り口で途切れていた遊歩道もところどころその姿を現す。炭焼きの窯の残骸も 多く見られる。せっかく足元を固めているので快適な川をジャブジャブと引き続き歩く。

傾斜も緩やかでそのぶん谷の道のりが長いと想像できる。実際地形図上では小さな範囲なのに ずいぶんと長く歩いたように感じられる。水は驚くほど澄んでいる。
小さな滝が次々と現れる

小さな滝は直接登ることもできるし、左右のどちらかに巻くこともできる。時々 鉄骨の残骸がひしゃげて残置されたままになっているのを見ると、今の状況からは まったく想像も出来ないが、ここに遊歩道があったのは現実だったと知る。 私以外の三人は喜々として川歩きに興じているが、私はそんな古い道の残骸とか、 石仏、標識がないかと周りをきょろきょろする。

ちょうど1時間歩いた頃に滝に行く手をさえぎられる。(正確には手前から右に高巻きの 遊歩道の残骸が続いている)ここで小憩をしようとリュックを降ろす。 おやつを食べようとふと足元を見ると数匹のヒルが這い上がってくる。 これだけ涼しくなったのに現れるとは驚きである。

大騒ぎでヒルを振り払い出発する。彼らにしたら枯れ葉の下で冬眠しようとしていたら 思わぬごちそうが現れたってところでしょうか?
足を滑らすと危険ここも危険だ!

這々の体で逃げ出したって感じで高巻きルートを行く。急斜面なので4駆で登るが ガレていて下のメンバーに落石の危険がある。ここにも鉄骨の残骸があるが、これさえも 足元確保には役立つ。ここをクリアーしたところでほんとの小憩。足元、リュックを再確認 するとやはりヒルはいた。経験から言うと何度も確認しないと必ずどこかに潜んでいる。
そろそろ谷も終点間近尾根に出たぞ

慣れない地下足袋とわらじのため足の指の股が痛い!『愛林防火 大昭和製紙』の看板から ようやく山道となりやれやれである。ちょっと広いところで靴を取り替える。地下足袋の中に さらに1匹のヒルが・・・。靴を履き替えると見違えるように歩き良くなる。丸太の橋があったり、 木の階段の残骸があったりであきらかに人の手の入った道である。ここでかもちゃんが悲鳴を あげる。首筋にヒルがいたようだ。血はほとんど吸われていないのでたいしたことはない。

道中にコンパスを確認を何度か確認したがこのあたりでは西向きに進んでいる。ひょっとしたら 私の思っている尾根のある個所にでるかもしれない。そこには『遊歩道』と彫られた大きな看板が ある。以前偶然に見つけたのだが、点名『上生野』から北へ行ったところの尾根上に 存在している。「なんでこんなところに?」と不思議に思うほど奇異な空間である。 まもなく到着する尾根の雰囲気がその時の感じであった。

11時55分、その看板にとうとうで会う。やっぱりこのルートで辿りつけるんや! ピンポイントでたどり着けたのでちょっと感激であった。 ここから行者岳までは目をつむっても行けるルートである。とはいうもののこの辺り特有の 広くてどこへでも歩ける尾根は初めての人にはとまどうこと間違いなし。769mピークで昼食。 段が峰のOAPさんと無線で繋がる。OAPさんは昔まだここの遊歩道が健在の頃? 我々同様沢登りをしたと聞いたことがある。
いざ行者岳へ行者岳頂上は展望悪し?

昼食後ほどなく三叉路分岐に着く。ここの地面にも行者岳と書かれた標識が朽ちて転がっている。 右に行けばもっつい山から大持山、さらに黒川ダムへと続く縦走路。左へはわずかの距離で 行者岳となる。ここまでも広く快適な尾根道だったが、岩屋観音からの登山道と合流すると さらに快適、明確になる。13時、行者岳着。標高786m、三角点無し。

兵庫50山になったためか多くの登頂プレートがぶらさがっている。ろうそくを立てる 燭台もなぜかある。昔同様今も展望はない。横にはフェンスで囲まれた反射板が立っている。 近所の山からはこの反射板が同定の良い目印になる。ここに登れば展望は思いのままだが 立ち入り禁止と書かれているのでそれはしてはいけません。

さて、下山である。少し下ると大岩の分岐となる。標識は右の下りにある。正面にある 道は地形図にある点線ルートだと思う。地形図通りにあるのだろうか?いずれは こいつも歩いてみたいもんだ。 この大岩の上では大展望が楽しめる。頂上からわずかの距離なので、岩屋観音から 登られた人もここへは寄って欲しい。
大展望!!

足元の多々良木ダム湖と発電施設はもちろんのこと、それらを取り巻くようにある 朝来郡山塊のピークは指呼のうちである。ついでだから西方面も見えたら最高やね。
大岩からは激下り鎖場も多い

大岩からの下りは補助のトラロープがあるほど傾斜は急である。この辺りから超人笹倉さんの 本領は発揮される。我々が恐る恐る下っているような傾斜でも、かもしかのごとく軽やかに下る。 次から次へと岩場が現れ、鎖を使ってそれらを降りる。振り返ると恐ろしいほどの大岩群だ。 これらはもっつい〜大持の縦走時にもよく見えていた。
この山の由来の行者堂
黄色の矢印奥にも祠がある
多々良木ダム

そして大岩を回り込んで下ったところにフラットな広場があり小さな祠があった。 背後と側面の大岩は圧倒的な迫力で迫っている。いかにも修験の場所であった。 しばらく周囲を探ってみる。時々は人も訪れている形跡があった。

ここを起点に丁石仏が下山道に規則正しく置かれている。それ以外にも不動明王、石を 積み上げて出来た祠には弥勒菩薩もある。私にとっては宝を見つけたようなうれしさであった。 油断すると前方に投げ出されそうな 急斜面をずいぶん長く下ったが一向にダム湖の水面が近くならない。お堂へお参りに来る人、 行者岳へ登山で登る人もこの道には苦労すると思う。

多々良木ダム湖へ伸びている支尾根の上を辿っていたが谷に向かって左にターンして 下っていく。最後に短い石畳の道を経て広場になる。そこには昔はなにかあった雰囲気がある。 そして道路に出る(15時)。石積みのケルン?ゲート?のような構造物の 横には丁石仏(二十四丁)がある。そして『行者岳登山口 '98ふるさと青年協力隊』と 書かれたトーテムポール様のものもあるが、これだけ見ていると横の林道を登ってしまいそう。

ダムの周回路である舗装路を歩いて、駐車をしている民俗資料館まで行く。その道中とさらに 資料館前にも石仏はあった。ありゃ〜、どこまで続いているのんやろ?興味は尽きないが またの機会に調べてみよう。今回も面白い山歩きでした。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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