後山〜笛石山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『千種』、『西河内』を参照いただくようお願いいたします。

2000. 6. 4.  日曜日  曇り  気温ふつう
この時季になってくると低山ではヤブと蜘蛛の巣がひどくなって到底MTBでは遊べる環境では無くなってくる。 そこでオーバー1000mを目指して今回は宍粟郡千種町へ遠征を試みる。目標は以前から 密かに暖めていた後山〜笛石山への縦走。この笛石山は別名千種富士と呼ばれていて、確かに見る角度によっては 円錐形のきれいなシルエットになる。でも地形図では山と言うよりは後山から派生する尾根の先端と言うほうが 正しい。そこには三角点あり、猫石と呼ばれる露岩も近くにあると聞く。単独で登るにはお手軽すぎるので 後山からの縦走を考えた次第である。
縦走尾根 千種富士
日名倉山から眺めた縦走尾根千種町内からみた笛石山

まず後山までをどうやって登るか?最初の案は兵庫県と岡山県を結ぶ志引峠の1kmほど北に 上乢と呼ばれる峠がある。そこから一気に県境を辿って後山まで上り詰めるというもの。でもルートの 有無が確認できずじまいでボツ。結局後山への定番ルートである板馬見渓谷を遡ることにする。 メンバーはM氏、松本、そして現地集合で大柿夫妻。板馬見ルートの登山口である松の木公園に到着すると すでに準備も終わった大柿夫妻が出発するところであった。我々も少し遅れて9時20分スタート。

前回もそうであったがこの板馬見渓谷の簡易舗装林道は辛い登りだ。横を流れる渓流を楽しむ余裕は まったくない。だが途中の石仏はしっかり写真を撮った。何台かの自動車が横をすり抜けていく。 松の木公園から歩くのは大変なので車で来られる方は林道終点まで行くことをおすすめする。 『なめらの行者』像には9時20分。途中にあった『後山まで2850m』という標識に誘われて 林道を離れてしまって谷筋の古い道を歩き、林道終点に到着したのは10時05分であった。

不動 権現
憤怒像とはいえないかわいい顔だが
剣を持っているので不動明王です
躍動感のある蔵王権現


ここからは西の大峰と呼ばれるのにふさわしく、宿坊跡、不動滝、石仏等々と道すがらに行場の 雰囲気を漂わせるものが点在している。やがて従来の登山道と『平成の大馬鹿門』への分岐となる。 大馬鹿門経由で行こうと決めていたので右に山腹を巻いていく。前回の時より路面も踏み固められていて 歩きやすくなっている。徐々に高度を上げていくが後山からはどんどん離れていく。やがて新緑あふれる 林になる。淡いグリーンのステンドグラスを通過したかのような、そんな光がふりそそぐすばらしい ところだった。そこから植林帯を急登すると大馬鹿門と呼ばれる石柱が建っている。11時30分。
緑の道 ばか者
緑光のシャワーに思わず足も停まる 大馬鹿門に登る大馬鹿者

そこはオゴシキ山(1095m)とはなっているが後山からの支尾根の先端である。周囲の千種の山々 よりは標高は低いが展望はピカイチである。フリークライミングの出来る人ならこの石柱のてっぺんに 登るのもおもしろそうだ(ただし、なにがあっても責任はとりませんよ)。後山の頂上は見えないが 笛石山への縦走路がデーンとそびえている。「あそこを歩くんかあ?!」見たら誰でも不安がよぎると思う。 風がちょっときついが気を取り直してここで食事にする。 大柿夫妻はここでも一足先に出発。我々も少し遅れて後山へ登り始める。適度な傾斜でズンズンと登っていく。 頂上の祠の裏からひょいっと出るとそこは後山頂上だ。12時50分。10人程度の人がくつろいでいる。

全方向とはいえないが標高が高いのでほとんどの山は見下す感じだ。日名倉山、植松山、三室山にもちろん 氷ノ山、那岐山も案外近くに見える。後山のメジャーな縦走路である西尾根の方を眺めると目前の舟木山の ピークが大きくて全景は遮られているが、一番奥の駒の尾のなだらかな笹ピークがきれいだ。みんなも思い思い に写真を撮り終えたようで、いよいよ笛石山への縦走のスタートとする。13時10分。 ちなみに後山にいたハイカーのどなたも笛石山を知る人はいなかった。

まずは南向けの県境尾根を下るがまあまあ乗れる。下りだけはいつものように先頭を切ってガンガン行く。 早速M氏は後ろで転倒したようでさいさき不安なスタートだった。途中で左に行者道の分岐があるが 無視してそのまま正面を走っていけば1253mピークである。地形図で確認するかぎり、このピークに立つと 正面は最初に登ろうと思っていた県境尾根、左は一般道という分岐になるとばかり思いこんでいた。 登り返したピークで一旦小憩。その1253mピークかと思ったが分岐になっていなかった ので周囲を気にせずそのまま進んでしまう。心持ち東向けに向かっているかなあ?と右を見てみると 県境尾根が走っていたので先ほどのピークがそれとわかった次第です。ようするに県境尾根にはルートは なさそうだったと言うことです。(あ〜、残念)

1253mから東尾根に入ったと言うことはここですでに笛石山の縦走路である。またまた分岐があった。 左に大きく下るのは先ほどから言う一般道と呼ばれる後山登山道。行者道とこの先で合流して板馬見渓谷と続く。 このあたりは今回初めて走るので今までは本でルートを眺めるだけだったが、山渓の「兵庫県の山」神戸新聞の 「ふるさと兵庫の50山」ともにこの付近の簡易地図ルートの記述はおかしいと思う。

さて、改めてこの分岐を眺めると確かに尾根にはうっすらとした踏み跡がある。大柿さんに言わせると「明確な 道」だそうだが最初はちょっとヤブこぎモード。13時40分。大柿さんと一緒と言うこともあるが雰囲気は この春に縦走したカヤマチ山と似ている。それよりちょっとヤブの深いところがあるのと、大岩が行く手を 遮るところが3カ所ほどあること。いずれも歩くにはなんの障害もないがMTBにはまさしく難行苦行の ルートとなる。細く分岐のない尾根なので迷うことはない。ただ、標高差が少ないので現在位置の確定が 難しい。展望のある大岩で周囲を眺めてだいたいの位置を確認しながら前進する。
縦走路 大馬鹿門
笛石山縦走路を走る 縦走路から大馬鹿門を見ると・・・

笛石山から400mほど手前(Ca.950m)が明確な分岐である。地形図で見ればあきらかに右が正解だが、 その時ははたしてここがそのポイントなのかどうかがわからなかったのでどちらに行こうかちょっと迷う (左にもテープがあったのも迷う原因だった)。一般道分岐からここまでは全くと言っていいほど乗車は 出来なかったがここからは道はぐっと良くなる。400mという数字以上に距離感があり、小さな広場に 飛び出るとそこが笛石山(三等三角点、標高896.4m)だった。15時40分。山名プレートもなく、 三角点も無傷。大柿さんはさっそく手製のプレートを掲げる。残念ながら展望はない。猫岩と呼ばれる 展望岩が近くにあるそうだがまったくわからなかった。

16時下山に取りかかるが道はない。東方向にある雑木と植林の境界が歩ける雰囲気があったのだが M氏の古い地図では南方向に下るようになっている。おそろしく急な斜面を下っていく。 雑木の中すごい臭いが漂っている。獣の臭いだ。イノシシかあるいは熊かもしれない。大勢居るので 誰かが襲われている間に逃げようと心に誓う。 行く手に植林があるのでそちらに入ると斜面は急なままだが開けているので下りやすい。思い切って 乗車するが思った通り大転倒!!その後も果敢にチャレンジする。

地形図の点線は林道と言うよりはちょっと広めのソマ道という感じだが、ひょいっとそこへ 飛び出る。そこまでが倒木だらけの植林帯だったので「やれやれやっとか!!」と感じ。16時50分。 逆に遡るとずいぶんと辛そうだ。大柿夫人は終始歩きだったがさすがご主人に付いて山を行くだけあって タフな方だった。登りは強い松本氏も今回のルートは持て余し気味。M氏は乗車チャンスが少なくて ちょっと不満げ。私は猫石が発見できなくて残念、そこでオカリナ吹きたかった。というのもこういう 伝説があるんです。

笛石山〈宇野一門伝説の山〉894m案内図にあった一文です。
♪昔悲しい笛石山に・・・・・♪と千種音頭に歌われているこの山には羽柴秀吉の中国征伐に まつわる山崎長水城主宇野政頼一門の哀話が語り伝えられています。 伝説では宇野主従がしきぐさの 里に逃げのびて来ましたが笛石山の頂上から笛の音が聞こえ敵軍に先を越されたと思い無念の 自刃をして果てました。この笛の音は宇野援軍の到着を知らない為、竹山城(大原)の使者が 吹いていたものですが時すでに遅かった訳です。この哀話を偲んで笛石山と名付けた由来の山です。

県道沿いのバス停にあった案内板のコピーですが、その案内板に書かれているイラスト地図のような明確な ルートは結果ありませんでした。 また日名倉山の南にある奥海越付近にある塚もこの落ち武者伝説に由来するものだったように記憶しています。 千種にはたたら遺跡だけでなくこういった落ち武者伝説もあったと改めて知った次第です。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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