大持山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『但馬新井』、
『大名草』を参照していただくようお願いいたします。

2000.11.18.  土曜日  曇り  気温寒い
土曜日が急に休みになると何処の山に何で(MTBか歩きか)行こうか、金曜日の晩は 悩みに悩んで心も千々に乱れる。起きるのが早ければMTBで市島町近辺へ、遅ければ 歩きの装備で神崎町か生野町へ。そこまで決めて床に着く。結局起きるのが遅かったので 今日は歩きだ。 装備と言っても車にすべて積み込んでいるので着替えと地形図だけを持って入るだけ。

まずは神崎町のとある山へ向かうため加美町から神崎町へ抜ける高坂トンネルへ走る。 とつぜん無線機に59でOAPさんの声が入る。えらい近くやなあ、と思ったらどうやら すれ違ったようだった。OAPさんは市原コースで千が峰へ行かれるようだ。一瞬私も 同行しようかと思ったがそのまま目的地へ向かう。

第一案の山の麓、情報を収集しようと付近を訊ね歩いたが誰も何も知らないと言う。 らちがあかないので第二案の生野町へ行く。新田ふるさと村から生野の梅ヶ畑へ抜ける 峠道を利用する。『通り抜けできません』等の看板はあるが、幾度も通っていて問題ないので そのまま登っていく。誰も見る人はいないのに付近の山々を彩る紅葉は今が盛りだ。 私一人楽しみながら峠を越える。

目的地は標高822.5mの三角点ピーク、点名『直谷』。R-429沿いにある黒川 廉野の集落真北にある 山です。高圧鉄塔が入り組んだ地点なのでその巡視路を利用しようと、まずは廉野へと行く。 食堂があるがよくハンターや釣り人が利用しているお店である。そこから県道沿いに ゆっくりと車を走らせる。巡視路入り口はいくつかあるがどうもしっくりこない。地形図を にらみながら出るはためいきばかり。時間だけがどんどん過ぎていく。 調査に来ただけと割り切れば気にならないが、やっぱり登れたら気分もすきっとする。

気を取り直して黒川ダムへ向かう。この堰堤下にあるのは本村と呼ばれる小さな集落である。 そこにある露天風呂で有名な黒川温泉手前に『黒川郷 ログハウス村』と看板があるので、 そちらへ向かって左折する。橋を渡ってすぐにそのログハウス村に入る。そして村の最深から林道になる。 谷沿いの林道を登っていくと赤白ポールが立っていて、道は左右に分岐している。左の方が広いので左を登る。 (後に確認すると右の方が稜線に取っつきやすそうだった。しかし、もっといいルートが 後で判る)

終点と思しき広場に来た。正面には細い道が、右にはさらに林道がある。ここに停めようかと思ったが 右の林道を進んでみる。すぐに終点になるのでここに車を止める。人が歩くには問題ない道が 続いているのでそれを登っていく。和紙の材料になるみつまたの群生が周囲の谷を埋め尽くす ようにある。さらに登ると鹿除けネットと扉があった。何も考えずにさもそれが当たり前のように ドアを通り抜ける。するとそこは手入れの全くされていない杉植林の幼木とイバラヤブの斜面であった。 やがて踏み跡もなくなり一歩も進めない状況となる。結果的にこの斜面でまた大きな時間のロスとなってしまう。

ほんとうはみつまたの群生地点でそれをかき分けて右の斜面を駆け上がるのが正解である。群生地点から すでに生野町と朝来町の境界尾根までが見えているのだ。イバラヤブから鹿除けネット以前まで舞い戻って 初めてそれに気が付いた。気を取り直してそちらへ向かう。みつまた群生からすぐに杉植林へと変わる。 倒木もあり、斜度もきついが尾根はすぐそこだ。

尾根に出るときつい風が吹いている。進むべき方向は先ほどの谷斜面と同じ様な急傾斜の登りに なっている。だが境界尾根にありがちなきっちりした踏み跡がある。それに助けられグイグイ登って行くが 登るにつれて尾根は痩せ、風が吹くこともあって足元が危うい。頂上まであと一歩の所で展望が広がる。 ひょっとして頂上での展望が期待できないかも知れないので、ここで立ち止まって周囲を眺める。 下にあった鹿除けネットが の続きもちょうどここに現れる。後ろを振り返ると右に黒川ダム湖、左に多々良木ダム湖、それらに 挟まれるように青倉山がある。この三つが同時に見えるのはまさにこの山だけの特権である。
北展望
頂上直下から振り返る

そしてピークに立つ。境界尾根ルートはなおも続いているのはもちろんである。もっつい山から、 上生野、行者岳と境界尾根上のすべてのピークが見える。足元のこのピークには三角点はなくて、南に10mほど行った ところにある。鹿除けネットがあるのでそれをくぐる。このピーク近辺は雑木があるもののほぼ 360度見えるのには驚いた。播州、丹波、丹後の山々が数え上げるときりがない。リュックから 双眼鏡を取り出して気になる山を眺めてみる。千が峰を見てみるとなんと頂上の石碑が見えた。 登りに利用したいと思っていた高圧鉄塔に視線を合わせてみる。おどろいたことに人がいる。 赤いジャケットを羽織ったその人はハイカーではなくて、肩に散弾銃があった。

寒風が吹く中、草むらに腰をかけて昼食を摂る。このピークの西下を見ると渓流があり、 はっきりした路も見える。それを利用してここに登るのもいいかもしれない。 私は車のこともあるし、さっき見えたハンターもいやだったのでもと来たルートで下る。 稜線の急斜面、植林谷の急斜面をこなしてデポ地へ。最初から迷わなければ1時間もかからない。

車で下っていくと女性が一人歩いてくる。話を聞くとログハウス村の住人で散歩の途中のようだ。 私の歩いたルートのほかに面白い道があるという。「ログハウス村の中ほどにお地蔵さんがあるんです。 それを右に行くと、多々良木に抜ける旧峠道があって、その先から鍋岩と呼ばれる奇岩も見られますよ」 たしかに上る時には気がつかなかったお地蔵さんがあった。銘はほとんど読み取れない状態にあったが かすかに『左 やまみち  右 たたらぎ』とあった。後で村の人に聞いたら昔は重要な但馬への道だったらしい。
石仏
このお地蔵を右に入ると旧峠道に至る

現在は黒川ダムと多々良木ダムを結ぶ関電所有のトンネル(一般車両の通行はできません)があるが その上を前述の旧道が通っているようだ。そこから稜線にのればもっと楽しい稜線歩きができると思うし、 鍋岩と呼ばれる岩も見ることができるだろう。そうそう、ちなみにこの三角点ピークは『大持山(だいもつやま)』 と地元の人に呼ばれている。「この付近で三角点といえば、『三国岳』『雲頂山』『大持山』の三つやなあ」 とも言われてました。

『雲頂山』・・・慶佐治盛一氏の『兵庫丹波の山』にはこのピークは『雲須山』と書かれています。 たぶん、国土地理院での点名が『雲須山』となっているのでそれを基準とされたのだと思いますが、 地元で呼ばれている『雲頂山(うんちょうざん)』が正しい山名です。村内にある大明寺の山号も この『雲頂山』なのですが、点名を決める際に『頂』を『須』と読み間違えたのが真相のよう。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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